天理教といえば、黒いはっぴを思い浮かべるのではないでしょうか?
天理教の本部がある天理市に行くと、必ずと言って黒いはっぴを着用した人が歩ています。
このはっぴについて説明します。
はっぴ(ハッピ)とは何?
しるしばんてん(印半纏)のことです。
以前は「法被(はっぴ)」と書いていました。
一般に大工・鳶職の人や旅館で着ている丈夫で裾の短い上着のことです。
背中や襟に名入りのものが多いです。
町の盆踊りや祭りにも着たりします。
天理教のハッピ(はっぴ)の始まり
天理教では明治22年(1889年)、奈良県秋津村の新道開削のため秋津系信者数百人がハッピを着て土持ちひのきしんを行ったそうです。
その時のハッピは空色(うす青色)の地に背中から両袖に天の字を染め抜いた揃いのものであったようです。
これが天理教におけるハッピのはじめと言われています。
以後天理教では、背中に「本部」「郡山」「中河」など教会名を染め抜き、襟に同様この文字を入れたハッピを着始めました。
昭和2年(1927年)、ハッピの背中の文字を「天理教」に統一し、左襟(外側)に所属の本部直属教会名、右襟(内側)に所属分教会名を入れることになりました。
昭和19年4月1日より、教校の制服を教服からひのきしん服(ハッピ)に変更しました。
戦時のため服地の調製も難しくなったことや、活動的な衣服が求められた時代の要請によるものだと予想されます。
3カ月修養の修養科生はハッピを正服にし、ハッピを着用して登校するようになりました。
横文字圏信者用のTENRIKYOはっぴ
戦後のことだと思いますが、横文字圏の信者もふえ、海外帰参者は横文字でTENRIKYOと背中に染め抜いたハッピを着ています。
子供用のはっぴ
こども用のはっぴですと、衿にさんさい心と書かれていたり、こどもの名前をいれている人もいます。
はっぴの現在
ハッピは天理教信者が日常にも着用するようになりました。
公的式典にも、また労働をともなうひのきしん活動にも常用されています。
天理市を歩いていれば、必ず黒い天理教のはっぴを着用した人を見かけるはずです。
天理市以外では異様な光景だと思われますが、天理市ではもはや当たり前の光景になっています。
また今では天理教と言えばハッピがトレードマークとなり、天理教スタイルの象徴となっています。
ハッピのお土産
はっぴは誰でも購入することが出来ます。
天理ふしん社ではハッピの購入の他、オリジナルハッピの製作も出来ます。
また天理本通りでははっぴ~キューピー・天理限定ダイナちゃんキューピーなる天理教版キューピーや、ひのキティなる天理教版ハローキティのストラップが売られていたりします。
天理に来られた際には、お土産におひとついかがでしょうか?