おつとめ・つとめのは大きく2種類に分類
朝と夕方に天理教の教会から♪ドンチャンドンチャン♪と音が聞こえてくることがあります。
これは「おつとめ・つとめ」と呼ばれるもので、救済の意味であったり、毎日への感謝、祈りと様々な意味が込められています。
ここでは少し詳しく説明しています。
天理教で「つとめ」または「おつとめ」と呼んでいるものは、天理教の祭儀の中心となるものです。
特に恒例の祭典(月次祭など)はつとめをつとめることが主要行事です。
この「つとめ」は、基本的形式のものや、その変異形とみられるものなど、いくつかの種類がみられます。
一つは、
①親神がこの世に現れた目的の一つである「たすけ」(救済)を実現するために教えられたつとめです。
これにもいくつか種類がありますが、その中で最も根本的で重要なものは、「ぢば(人類が始まった場所)」において「かんろだい」を囲んで行われるつとめです。
一般の天理教教理書において「つとめ」といって説明してあるものは、このつとめのことです。
これに対して、もう一つのつとめは、
②人間が神(親神)に向かって、感謝したりお祈りしたりするために教えられたもので、「朝夕のつとめ」と呼ばれるものです。
①「たすけ」(救済)を実現するために教えられたつとめについて
人間を「たすける(救済する)」手段としての「つとめ」は、「さづけ」と合わせて「たすけ一条の道」とも言われます。
さづけが「身上(怪我など)」たすけの道(手段)であるのに対して、「身上」の患いも「事情」も含める、「よろづたすけ」の道(手段)です。
しかも、単にその場だけの身上の障りや事情をたすけるだけでなく、身体の健康や自然の豊作や社会の平和を招来するという珍しいたすけをされ、世界はつとめによって陽気ぐらしの世界に立て替わっていくと教えられています。
このつとめは、ぢばに据えられたかんろだいを囲んでつとめられます。
天理教教会本部は毎月26日に、月次祭や大祭としてつとめられるつとめが、これに相当します。
つとめは音楽の伴奏を伴うお歌(歌詞)と、これに調和した踊りから成ります。
このお歌は「みかぐらうた」と呼ばれ、つとめの地歌(じうた)です。
踊りは、足の動きを伴っているが、「つとめの手」と呼ばれ、「手振り」(または「踊り」)とも言われます。
この手振りは、言葉(お歌)に表現される意義(すなわち「理」)を動作(手振り)によっても表現するので、このことを「理を振る」と言います。
また、つとめは「かぐらづとめ」と「てをどり」の二つの部分に分かれます
かぐらづとめとは
かぐらづとめは、10人の「つとめ人衆」がそれぞれ面をつけ、特別な服装をして、かんろだいを囲んでつとめます。
手振りもそれぞれの人衆が、親神の守護の理を、道具衆としてそれぞれ表現する手振りです。
このつとめの姿は、人間の創造のときの様子を再現しています。(元初まりの話)。
また「地方」(じかた)がお歌をうたいます。
このお歌は「みかぐらうた」で、その第1節を21遍、第2簡を1遍、第3節を7遍ずつ3回都合21遍です。
みかぐらうた第一節
あしきをはらうてたすけたまへ
てんりわうのみこと
みかぐらうた第二節
ちよとはなしかみのいふこと
きいてくれあしきのことは
いはんでなこのよのぢいと
てんとをかたどりてふうふを
こしらへきたるでなこれハこの
よのはじめだし
(なむてんりわうのみこと)
みかぐらうた第三節
あしきをはらうてたすけ
せきこむいちれつすまして
かんろだい
回数は地方が、数取をもって数えます。
このとき鳴物(なりもの、楽器)は、男鳴物六つ・女鳴物三つあわせて九つ用います。
男鳴物は、笛、 ちゃんぽん、拍子木、太鼓、すりがね、小鼓。
女鳴 物は、琴、三味線、胡弓です。
それぞれの鳴物の『練習譜』が 道友社から発行されています。
「みかぐらうた」の 文字の横に、奏でる個所や音が記号や数字で表記されていますので、独習することも可能です。
また、男鳴物、女鳴物などの参考DVDも出されています。
かぐらづとめが終了すると、てをどりのつとめになり、人衆も交替し、男3人女3人都合6人1組のつとめ人衆が、一列に並んでつとめます。
服装は、「おつとめ衣」といわれる独特な黒い紋付です。
「みかぐらうた」は、第4節と第5節(「十二下り」)の前半を一組でつとめ、第5節後半をもう一組でつとめます。
地方と鳴物は、かぐらづとめと同じで、その人衆は交替します。
つとめ人衆は、かぐら10人、なりもの9人、てをどり(6人1組で)36人、がくにん20人、合計75人と教えられています。
ほとんどの場合いつも一種類のかぐらづとめがつとめられます。
これは、上述のもので、てをどりのつとめと合わせて一般に「よろづたすけのつとめ」と呼ばれています。
このほかに、一般に「十一通りのつとめ」と呼ばれる11種類のつとめがあります。
これは、特定のたすけを守護するつとめで、かぐらづとめにおいて、唱えるお歌のうち、「みかぐらうた」の第1節の代わりに、それぞれ特別の歌詞が用いられます。
その種類は、古くからの用語で
- 「をびやづとめ」
- 「ほうそつとめ」
- 「一子のつとめ」
- 「ちんばのつとめ」
- 「肥のつとめ」
- 「崩出(はえで)のつとめ」
- 「虫払いのつとめ」
- 「雨乞いのつとめ」
- 「雨あづけのつとめ」
- 「みのりのつとめ」
- 「むほんづとめ」
の11通りです。(中山正善『続ひとことはなしその二』145-153頁)。
11通りのおつとめの内、現在もつとめているのは「萌出のつとめ・はえでのつとめ」「おびやづとめ」になります。
また、【身上に関するつとめ】【立毛・農作物に関するつとめ】【事情治めのつとめ】に分けられます。
身上に関するつとめ
おびやづとめ
あしきを払うて どうぞ
おびや
すっきり早くたすけたまへ
天理王命
南無天理王命
南無天理王命
(七回繰り返す)
ほうそつとめ
あしき払うて どうぞ
ほうそせんよに
しっかり たのむ
天理王命
南無天理王命
南無天理王命
(七回繰り返す)
一子のつとめ
あしき払うて どうぞ
一子をたのむ
天理王命
南無天理王命
南無天理王命
(七回繰り返す)
ちんばのつとめ
あしき払うて どうぞ
足のちんばを
すっきり早く たすけたまへ
天理王命
南無天理王命
南無天理王命
(七回繰り返す)
立毛・農作物に関するつとめ
肥のつとめ
あしき払うて どうぞ
肥を
しっかり たのむ
天理王命
南無天理王命
南無天理王命
(七回繰り返す)
萌出のつとめ・はえでのつとめ
あしき払うて どうぞ
萌出を
しっかり たのむ
天理王命
南無天理王命
南無天理王命
(七回繰り返す)
虫払いのつとめ
あしき払うて どうぞ
やむひむし
すっきり いらぬやう
しっかりたのむ
天理王命
南無天理王命
南無天理王命
(七回繰り返す)
雨乞ひつとめ
あしき払うて どうぞ
雨を
しっかり たのむ
天理王命
南無天理王命
南無天理王命
(七回繰り返す)
雨あづけのつとめ
あしき拂うて どうぞ
雨を
しっかり あづけ
天理王命
南無天理王命
南無天理王命
(七回繰り返す)
みのりのつとめ
あしき払うて どうぞ
みのりを
しっかり たのむ
天理王命
南無天理王命
南無天理王命
(七回繰り返す)
事情治めのつとめ
むほんづとめ
あしき払うて どうぞ
むほん
すっきり 早く
おさめたすけたまへ
天理王命
南無天理王命
南無天理王命
(七回繰り返す)
つとめは、人間創造の働きを「たすけ」のために現すので、「ちば」でのかんろだいのつとめが親神の思召通りに行われるとき、この理をうけてつとめられる各地のつとめ(教会のつとめなど)も、珍しいにたすけを現されます。
このつとめせかいぢううのたすけみち
をしでもものをゆハす事なり
おふでさき4号91
神がでゝせかいぢううをはたらけば
どんなつとめもこハみないぞや
おふでさき13号55
教会の月次祭のつとめおよびこれに準ずるつとめにおいては、かぐらづとめは行われません。
かぐらづとめは「ぢば」にかぎりますので、これはぢば以外でのお面(かぐら面)の使用を禁止されていることに示されています。
それ故これに代えて、「座りづとめ」が行われます。
座りづとめは男3人女3人の都合6人でつとめられます。
6人でつとめるのは、「おさしづ」に「六だい一つの理、それより理を始める」(おさしづ、明治22年5月25日)と数えられているからです。
お歌は第1節を21扁、第2節を1篇、第3節を3遍ずつ3回都合9編です。
地方と鳴物は同じ物を使います。
てをどりのつとめは、手振りだけで、いつどこでも、誰でもつとめてよいことになっています。
ですが、親神の目標(めど)を祀った場所で行うのが普通です。
②人間が神(親神)に向かって、感謝したりお祈りしたりするために教えられた「朝夕のつとめ」について
信者の家庭で「お目標」を祀ってあるところでは、信者は座って、手振りだけか、または拍子木によるおつとめをします。
人が集まっておつとめをするときや、講社まつりなどでは、拍子木と数取で行われることがあります。
また地方の教会においても、信者は、各家庭において行うのと同じおつとめをして礼拝をすることがあります。
このようなつとめは「朝夕のつとめ」といわれます。
朝夕に聞こえてくる太鼓等の音は、朝夕のつとめが大半だと思われます。
朝夕というのは、「朝な夕な」に親神に感謝の御礼を申し上げ、世界の人々のたすかることをお願いする意味で、朝タ以外にも随時行われます。
教会や布教所などでは、教会本部にならって、大体日の出・日の入りを基準に、毎日2回、時間を定めておつとめをします。
これは朝夕のつとめではあるが、特に「朝勤(あさづとめ)・夕勤(ゆうづとめ)」または「朝夕おつとめ」といわれます。
朝夕のつとめの手振りは、座りづとめと同じですが、「朝勤・夕勤」では、5人の人衆が一列にならんで、鳴物などの道具を用います。
これは、神味(かんどこ)に向かって右より太股・数取・拍子木・ちゃんぽん・すりがねの順に並べます。
おつとめでは、拍子木、ちゃんぽん、太鼓、すりがねに合わせて、参拝者全員 が「みかぐらうた」第一節から第三節 までを唱え、お手を振ります。
朝には、十全なるご守護に生かされていることにお礼申し上げ、今日一日、 思召に沿って勇んで勤めることをお誓いし、また今日も無事無難に健やかにお 連れ通りいただけますようにとの願いを込めて勤めます。
夕べには、一日を結構 にお連れ通りいただいたお礼と反省、そして明日への祈りを込めます。
また、朝夕のおつとめの後には、てをどりの稽古や、『おふでさき』・『諭達』などの拝読、さらに教話の取り次ぎなど、教えを治め、心を磨く時間が持たれています。
その他のおつとめについて
つとめは視神が人間を救済する手段であり、人間の側からすれば、親神の守護をうけるための祈念とみられます。
このため、守護を願って、随時行われ、例えば臨時祭としてつとめがつとめられることなどがあります。
このような場合に、大体月次祭に準じてつとめられますが、教会で個人の病気などのお願いをする「お願い勤め」は、特別の形式で行われます。
お願いづとめ について
重い身上(病気)の平癒や事情のもつれの解決を願って勤める「お願いづとめ」 は、それぞれの教会で随時、勤められています。
朝夕のおつとめと同様に「みかぐらうた」第一節から第三節 までを唱え、お手を振りますが、たいていは拍子木と数取りのみで勤めます。
お願いに当たっては、悩む人の住所・氏名・年齢と、病名や病状(あるいは事 情の内容)、およびお願いの筋を申し上げます。
おたすけに掛かっている人が多い教会などでは、朝夕のおつとめの後や、 毎日時刻を定めて、お願いづとめを勤めているところがあります。
その際 には、神饌を改めた後、お願いする人の住所・氏名などを順に言上 して、おつとめを勤めることがあります。
冠婚葬祭について
教会では、結婚式を執り行うこともあります。
式では、新郎新婦は主礼(会長や役員が務めます)に続いて教祖の御前に進み、主礼が新郎新婦に代わって「誓詞(ちかいの言葉)」 を読み上げます。
二人が心を合わせて陽気ぐらしの家庭を築き、よ うぼくとして成人していくことをお誓い申し上げるのです。
続いて、参列者全員でおつとめをします。
お願いづとめの時と同 じように、拍子木と数取りのみで勤め、主礼が拍子木を勤めます。
また、葬儀の世話もしてもらえます。
「出直し」の教 えにのっとって行われ、葬儀では故人の生前の遺徳をしのび、早く 新しい身体を借りて、再びこの世に生まれ替わってくるようにと祈 念します。
式に際しては、地域の教友が協力することもあります。
「てんりわうのつとめ」・「まなび」について
てんりわうのつとめとは
「みかぐらうた」に
やまのなかでもあちこちと
てんりわうのつとめする
(みかぐらうた9下り目8ツ)
と、「てんりわうのつとめ」の呼称があるが、これがどのつとめを意味しているかについては、定説はないそうです。
天理教のまなびとは
また、つとめについて「まなび」といわれていることが「おさしづ」に見られますが、これについても、定説といえるものはないようです。
「まなび(学び)」という言葉は、教祖五年祭に関連してお伺いしたおさしづ (明治4年2月 28日)の中に示されています。
教祖のご年祭をつとめるに当たって、あれほどのご苦労の道すがらの中からひたすらおつとめの実現をお急き込み下され、ついには二十五年の寿命を縮めてまでもおっとめの完成を王流し下さった教祖の年祭をつとめさせてもらうのだから、しかも教会本部が認められて最初の年祭、公然と誰はばかることなく、お道の人たちだけの手で、初めてつとめさせてもらう年祭なのだから、ぜひとも教祖の御前でかぐらづとめを立派につとめさせて頂き、お喜び頂きたいものと、かんろだいを御休息所(現在の教祖殿に相当する建物)の方へ移させて頂くことのお願いをされたところ、
かんろうふだいというは、何処にも無い、一つのもの。所地所何処へも動かす事は出来ないで。
とのおさしづがあり、同じお屋敷の中であっても、また教祖の御前へということであっても、 ぢば・かんろふだいは絶対に動かすことのできないものであることを明示されました。
そこで、 かんろふだいは動かせないとしても、かぐらづとめはなんとか教祖の御前でつとめさせて頂き たいという思いから、「御勤だけは宜しう御座いますか」とお伺いされますと、
「さあ/\学び/\」とのお言葉を頂いたのであります。
かぐらづとめは、かんろだいを囲んでだけつとめられるのであって、ぢばを離れては理のあるつとめとはならないということを明らかにされ、「まなび」としてなら許してやると仰せ頂いたのでした。
「まなび」ー「学び」という言葉は、古来「真似び」であって、まね、まねごと。
本式でなく形だけを行うことから”訓練” ”練習”などの意味となり、また、師匠や先輩の技芸をまねることから、学習・学問などの意味にも使われてきました。
しかし、この時のおつとめは、ただの練習というようなものではなかったと言うべきでしょう。
教祖からお教え頂いたおつとめを、お教えどおりに立派につとめ上げる姿を教祖にご覧頂きたいという、真剣真実の心一つでつとめられたおつとめでありました。
かぐらづとめ、 かんろだいづとめとしての理は許されてはいないけれども、つとめる人の心と姿は、単なるお櫛古ではなく、精魂込めたおつとめであったと申せましょう。
これが「まなび」と呼ばれ た最初の明確な史実なのです。
現在本部では、朝づとめの後、教祖の御前で、てをどりを二下りずつ、参拝者全員が立ってつとめていますが、これを「てをどりのまなび」と呼んでいます。
各地の教会でも、これにならって朝づとめの後(教会によっては夕づとめ後にも)、神殿で「まなび」をつとめています。
また、婦人会、青年会、よのもと会などの総会・例会などでも、教会の月次祭同様に座りづとめとてをどりをつとめますし、教会によっては「入社祭」とか「説教日」という名称の会合があって、その際にも同様におつとめをつとめるところもあります。
これらは、月に一度のおつとめとして許された月次祭とは異なり、ちばの理のお許しを頂いたものではありません。
今日私たちは、これらのおつとめを「まなびづとめ」と呼んでいます。
かんたんなまとめ
おつとめ・つとめのは大きく2種類に分類されることがわかりました。
①親神がこの世に現れた目的の一つである「たすけ」(救済)を実現するために教えられたつとめです。
②人間が神(親神)に向かって、感謝したりお祈りしたりするために教えられたもので、「朝夕のつとめ」と呼ばれるものです。
このほかにも、「お願いづとめ」と呼ばれるものなどがあることが分かりました。。
①親神がこの世に現れた目的の一つである「たすけ」(救済)を実現するために教えられたつとめにこめられている理の角目については、
- 「かぐらづとめ」
- 「かんろだいのつとめ」
- 「よふきづとめ(ようきづとめ)」
- 「たすけづとめ」
という四つの呼び名によって、わかりやすく理解しやすいように説かれていること。
おつとめには十一通りのつとめがある。
- 「をびやづとめ」
- 「ほうそつとめ」
- 「一子のつとめ」
- 「ちんばのつとめ」
- 「肥のつとめ」
- 「崩出(はえで)のつとめ」
- 「虫払いのつとめ」
- 「雨乞いのつとめ」
- 「雨あづけのつとめ」
- 「みのりのつとめ」
- 「むほんづとめ」