明治二十六年八月四日
御墓地の井戸矢入れる事情願明治二十六年九月二十九日
山沢為造腹及び喉痛むに付伺明治二十六年十月十三日
船場部内明恵組支教会設置願(堀江支教会担任志賀清兵衞)明治二十六年十月二十六日
藤橋光治良皮癬病みに付願明治二十六年十一月十二日
土佐卯之助重ねて願明治二十六年十一月二十八日
増野正兵衞兵神分教会大祭に代理として行く願(清水与之助中山教長の随行にて箱根なる神道本局管長の別荘へ赴きて不在に付、清水の依頼により)明治二十六年十二月二十二日
梅谷分教会理事駒谷忠四郎家内中教会へ移り度きに付願明治二十六年一月三十日
辻本弥十郎七十二才身上胃癌願(御願後全快)明治二十六年三月二十五日
高橋直秀五十四才身上願明治二十六年五月十九日
松村れい五十六才身上願明治二十六年九月二十六日
深谷徳次郎身上願明治二十六年十二月九日
岡室熊作身上願明治二十六年一月六日
河原町部内小濱支教会破損に付事情願明治二十六年一月二十一日
本席声かすむに付願明治二十六年二月八日
本席御普請間取九間として願明治二十六年二月二十四日(陰暦正月八日)
分支教会長会議の上将来は綿服に改め、政府製艦費に一万円献金願明治二十六年三月十一日 夜十二時
一昨夜増野正兵衞のおさしづに、夜深に尋ね出よとの事に付願明治二十六年三月二十八日
高知分教会開筵式に付、本部長出張下さる処陰暦十三日十四日の両日出立願明治二十六年四月十四日
本席身上願明治二十六年四月二十五日
増野正兵衞咳出で胸に響きて息どしく又道興目の障りに付伺明治二十六年五月十五日
日本橋部内本荘支教会部下の事情願明治二十六年六月二日
諸井ろく再度足痛に付身上事情願明治二十六年六月十三日
前陰暦二十七日晩の会議の件、分支教会長の子供衆十五六才の者本部へ小使に引き立ての事願明治二十六年六月二十四日
本席御宅西南の方へ井戸一箇所掘り度きに付願明治二十六年七月十二日 夜
前のおさしづに付願明治二十六年八月四日
本席身上願明治二十六年九月二十九日
中之道の事に付事情願明治二十六年十月十三日
中山会長御身上の願明治二十六年十月二十七日
平野楢蔵身上願明治二十六年十一月十三日
上原佐助願、前おさしづにより、右事情は日本橋、分教会に引き直しと悟らして貰いますと願明治二十六年十一月二十八日
村田かじ身上願明治二十六年十二月二十三日
諸井政一身上願明治二十六年二月三日
山中弥平身上願明治二十六年三月二十六日
福地庄松伜治三郎身上願明治二十六年五月二十日
安堂鶴造四十五才身上願明治二十六年九月二十六日
井久保貞二郎伜安太郎身上願明治二十六年十二月十日
吉岡栄蔵三十二才身上願明治二十六年一月六日
河原町部内小濱支教会建築中風のため倒れしに付、会長中村初治郎進退伺事情に付願明治二十六年一月二十一日
中山会長外四名東京より御帰り下されしに付事情の御願明治二十六年二月八日(陰暦十二月二十二日)
御用場所建築地の東に隣接せる稲田源治郎三畝余歩の田地を買い入れの願明治二十六年二月二十四日
分教会理事の事梅谷四郎兵衞心得までの願明治二十六年三月十二日
飯降さと身上速やかならぬに付伺明治二十六年三月二十八日
増野正兵衞身上障り願明治二十六年四月十五日
山沢為信身上願明治二十六年四月二十七日
昨日本席身上御障りは如何なる事にや願明治二十六年五月十六日 午後
日々本席に教会の願段々つかえます故、御許し相成りた上は地方庁へ出願なり御勤の鳴物なり御紋の処は添物のように心得ますから、これを神様へ願わずして運ばして下されますや、是非御願い申さずば成りませんや願明治二十六年六月三日
諸井国三郎、愛知県下講社の事情に付派出の願明治二十六年六月十三日
上田平治六十三才身上願明治二十六年六月二十四日
春野利三郎五十六才初めは頭のぼせ熱強く口中出物舌腫れ表向通じ無くいぼ痔出で、よって願明治二十六年七月十四日
山田作治郎身上願