明治二十六年二月二十二日
増野正兵衞身上の願明治二十六年三月十一日
飯降さと前の通り身上に付再び願明治二十六年三月二十八日(陰暦二月十一日)
本部内に延べ石を敷く儀願明治二十六年四月十三日
昨冬教長の御供致し東京へ運び事情に中人の事情に付内務省社寺課長への運びの願(前川菊太郎、平野楢蔵、清水与之助)明治二十六年四月二十五日
永尾よしゑ身上の願明治二十六年五月十五日
日々運び事情三点の処、この頃沢山つかえてありますから何とか御許し下さるや願明治二十六年五月三十一日
新潟地方信徒治め方に付、本部より派出の願明治二十六年六月十三日
分支教会長且つ分教会の理事会計掛本部にて寝泊まりさす事の願明治二十六年六月二十三日
三重県警察署へ二度目行く事願明治二十六年七月十二日(陰暦五月二十九日)夜十一時四十分
一昨日より本席身上御障りに付事情の願明治二十六年八月四日
御墓地の井戸矢入れる事情願明治二十六年九月二十九日
山沢為造腹及び喉痛むに付伺明治二十六年十月十三日
船場部内明恵組支教会設置願(堀江支教会担任志賀清兵衞)明治二十六年十月二十六日
藤橋光治良皮癬病みに付願明治二十六年十一月十二日
土佐卯之助重ねて願明治二十六年十一月二十八日
増野正兵衞兵神分教会大祭に代理として行く願(清水与之助中山教長の随行にて箱根なる神道本局管長の別荘へ赴きて不在に付、清水の依頼により)明治二十六年十二月二十二日
梅谷分教会理事駒谷忠四郎家内中教会へ移り度きに付願明治二十六年一月三十日
辻本弥十郎七十二才身上胃癌願(御願後全快)明治二十六年三月二十五日
高橋直秀五十四才身上願明治二十六年五月十九日
松村れい五十六才身上願明治二十六年九月二十六日
深谷徳次郎身上願明治二十六年十二月九日
岡室熊作身上願明治二十六年一月六日
河原町部内小濱支教会破損に付事情願明治二十六年一月二十一日
本席声かすむに付願明治二十六年二月八日
本席御普請間取九間として願明治二十六年二月二十四日(陰暦正月八日)
分支教会長会議の上将来は綿服に改め、政府製艦費に一万円献金願明治二十六年三月十一日 夜十二時
一昨夜増野正兵衞のおさしづに、夜深に尋ね出よとの事に付願明治二十六年三月二十八日
高知分教会開筵式に付、本部長出張下さる処陰暦十三日十四日の両日出立願明治二十六年四月十四日
本席身上願明治二十六年四月二十五日
増野正兵衞咳出で胸に響きて息どしく又道興目の障りに付伺明治二十六年五月十五日
日本橋部内本荘支教会部下の事情願明治二十六年六月二日
諸井ろく再度足痛に付身上事情願明治二十六年六月十三日
前陰暦二十七日晩の会議の件、分支教会長の子供衆十五六才の者本部へ小使に引き立ての事願明治二十六年六月二十四日
本席御宅西南の方へ井戸一箇所掘り度きに付願明治二十六年七月十二日 夜
前のおさしづに付願明治二十六年八月四日
本席身上願明治二十六年九月二十九日
中之道の事に付事情願明治二十六年十月十三日
中山会長御身上の願明治二十六年十月二十七日
平野楢蔵身上願明治二十六年十一月十三日
上原佐助願、前おさしづにより、右事情は日本橋、分教会に引き直しと悟らして貰いますと願明治二十六年十一月二十八日
村田かじ身上願明治二十六年十二月二十三日
諸井政一身上願明治二十六年二月三日
山中弥平身上願明治二十六年三月二十六日
福地庄松伜治三郎身上願明治二十六年五月二十日
安堂鶴造四十五才身上願明治二十六年九月二十六日
井久保貞二郎伜安太郎身上願明治二十六年十二月十日
吉岡栄蔵三十二才身上願明治二十六年一月六日
河原町部内小濱支教会建築中風のため倒れしに付、会長中村初治郎進退伺事情に付願明治二十六年一月二十一日
中山会長外四名東京より御帰り下されしに付事情の御願明治二十六年二月八日(陰暦十二月二十二日)
御用場所建築地の東に隣接せる稲田源治郎三畝余歩の田地を買い入れの願