明治二十六年三月二十三日
東部内八箇所月次祭改めて願明治二十六年四月十日
上田ナライト身上願明治二十六年四月二十一日
本席身上願明治二十六年五月十一日 夜二時十分
篠森教正の事に付願明治二十六年五月二十五日
寺田半兵衞二十一日より腹痛甚だしく身体自由ならず、食物頂く事出来ず、役員談示の上、光原二十四日おぢばへ罷り出で、二十五日朝御伺いの言葉、この時娘小近の面てい眉毛の上に出来物出来、目も腫れ塞がり痛み甚だしく、同時に願明治二十六年六月十二日 夜
飯降まさゑ治まり方事情に付願明治二十六年六月二十一日
平野トラ身上よりおさしづに付、山瀬の子息外二名を教会へ入れる事願明治二十六年七月七日
南海分教会部内金山村の件に付願明治二十六年八月三日
宮の東の方へ井戸一箇所掘る事願明治二十六年九月二十二日
北分教会伊藤半七三十一才身上願明治二十六年十月九日
兵神前日に続いての事情願明治二十六年十月二十二日
永尾楢次郎の内守の事願明治二十六年十一月十一日
東分教会長上原佐助身上願(去る十月二十七日本部に於て集会これあり二十七日出立の際俄かに寒けが致しまして熱酷しく相成り心に考えさして貰いまして、二十八日出立仕りましたが如何御知らせ下さいますや願)明治二十六年十一月二十七日
清水与之助身上事情の願明治二十六年十二月十五日
中山会長より東京行の事情に付御願明治二十六年一月二十七日
鶴田嘉七六十二才七十日程絶食に付身上伺明治二十六年三月二十二日
深谷源次郎それ/\派出の件願明治二十六年五月八日
松村善十郎六十五才身上願明治二十六年八月四日 朝
奥西要蔵妻おすゑ四十才身上願(大和国山辺郡東山村大字水間 出張所長妻)明治二十六年十一月十六日
村田忠七身上願明治二十六年一月十九日
増野正兵衞身上障り伺明治二十六年二月五日 午後一時三十分頃
本席御用場普請の事に付、これまでの処詰員一同の届かぬ儀御詫び申し上げて御許しの願明治二十六年二月二十日
増野正兵衞腹痛の伺明治二十六年三月九日
飯降さと左の乳の下痛み、寝返りも自由ならざるに付願明治二十六年三月二十四日
本席付の人は男でありますや、又女でありますや願明治二十六年四月十日
桝井伊三郎母及び小人身上願明治二十六年四月二十三日
上田民蔵より所事情願明治二十六年五月十二日 夜
これまで篠森事務所詰の処、本部員相談の結果、事務一切取り扱い見合わさすよう談示の上伺明治二十六年五月二十五日
西浦弥平小人やゑ身上願明治二十六年六月十二日
村田かじ身上の願明治二十六年六月二十二日
道の事件に付、郡山山中、増田両名より願明治二十六年七月八日(陰暦五月二十五日)
昨日本席席の中に御声止まり霞むよう成りたるに付願明治二十六年八月三日
諸方より雨乞い願いに来るに付、心得のため事情願明治二十六年九月二十三日
本席身上少々御障りに付願明治二十六年十月十日
中山たまへ御身上御伺明治二十六年十月二十二日
上田嘉治郎身上願明治二十六年十一月十一日
土佐卯之助重ねての願明治二十六年十一月二十八日 夜十一時二十分頃
刻限御話明治二十六年十二月十六日 昼十二時頃
本席昨夜歯痛み頭痛に付願明治二十六年一月三十日
沢田たみ疵跡身上事情願明治二十六年三月二十二日
板倉槌三郎身上願明治二十六年五月九日
深谷源次郎身上願明治二十六年九月十二日
坊春松身上願明治二十六年十一月二十二日
山口安太郎四十二才身上伺(天清三番講元)明治二十六年一月二十日
北分教会茨木へ頂きし教祖赤衣と講社へ頂きし赤衣と二つ一つにして御祀り申し度きに付願明治二十六年二月六日 朝
事情願明治二十六年二月二十一日
来たる陰暦二月一日二日本席六十一才御祝の事情願明治二十六年三月九日
増野正兵衞身上の願明治二十六年三月二十六日(陰暦二月九日)
本席御普請の石搗き明十日十一日に致し度きに付御許しの願明治二十六年四月十日(陰暦二月二十四日)
村田幸助目の処、妻すま咳出る処願