明治二十六年一月十九日(陰暦十二月二日)
前栽松本太平地所並びに水車納屋共買い入れの願明治二十六年二月四日 夜
本席御用場普請願明治二十六年二月二十日
本部会議に上分教会、支教会、出張所、布教事務取扱所等、等級相定め右事情申し上げ願明治二十六年三月六日
桝井伊三郎母及び小人身上願明治二十六年三月二十三日
高安部内大阪南区谷町筋六丁目百十番地に於て、南出張所設置の件願明治二十六年四月七日
田原支教会長妻久保ナラヱ目の障りに付願明治二十六年四月十九日
矢追楢蔵九州地方へ布教の願明治二十六年五月十一日 午後十一時五十分
刻限明治二十六年五月二十二日
植田楢松身上願明治二十六年六月十二日 午後
席御運びの後にて火鉢の所へ御坐りなされて御話明治二十六年六月二十一日
御墓所絵図面出来て来たりこれを彫らして貰い雑誌へ加え出す事の願明治二十六年七月五日
林芳松身上願明治二十六年七月二十九日
寺田半兵衞娘コウ三年以前に縁付きの事御止めに相成りしに付、この度教会相続のため養子を貰い度く願(増野正兵衞取次にて願いのおさしづ)明治二十六年九月二十一日
寺田半兵衞娘小近十九才喉へ差し込み息止まるようになる故願(尤も十日程以前よりおこり)明治二十六年十月九日
道路の儀に付願明治二十六年十月二十二日
郡山分教会僧の事情願明治二十六年十一月十日
土佐卯之助右小指痛みに付願明治二十六年十一月二十七日
本局管長より呼状に付、会長御出で下さる事願明治二十六年十二月十四日
増田ならえ目の障りに付願明治二十六年一月二十六日
秋岡亀治郎五十七才血が下だり身上願明治二十六年三月十一日
西川仲蔵四十六才願(兵神)明治二十六年五月七日
上原伊助二十九才身上事情願明治二十六年七月十八日
不破修本妻りう三十七才身上願明治二十六年十一月十三日
上原伊助妻ミツ十七才身上願明治二十六年一月十九日
河原町部内小濱支教会普請の処奥行八間、間口五間の建物願明治二十六年二月五日 朝
本席御用場普請の処、前晩のおさしづより運び方申し上げ、普請今日より掛からして貰います願明治二十六年二月二十日
兵神部内加東支教会上月佐市不行届に付一同治まり兼ねの願、清水与之助心得まで願明治二十六年三月六日
山本利三郎妻コマツ身上願明治二十六年三月二十三日
東部内八箇所月次祭改めて願明治二十六年四月十日
上田ナライト身上願明治二十六年四月二十一日
本席身上願明治二十六年五月十一日 夜二時十分
篠森教正の事に付願明治二十六年五月二十五日
寺田半兵衞二十一日より腹痛甚だしく身体自由ならず、食物頂く事出来ず、役員談示の上、光原二十四日おぢばへ罷り出で、二十五日朝御伺いの言葉、この時娘小近の面てい眉毛の上に出来物出来、目も腫れ塞がり痛み甚だしく、同時に願明治二十六年六月十二日 夜
飯降まさゑ治まり方事情に付願明治二十六年六月二十一日
平野トラ身上よりおさしづに付、山瀬の子息外二名を教会へ入れる事願明治二十六年七月七日
南海分教会部内金山村の件に付願明治二十六年八月三日
宮の東の方へ井戸一箇所掘る事願明治二十六年九月二十二日
北分教会伊藤半七三十一才身上願明治二十六年十月九日
兵神前日に続いての事情願明治二十六年十月二十二日
永尾楢次郎の内守の事願明治二十六年十一月十一日
東分教会長上原佐助身上願(去る十月二十七日本部に於て集会これあり二十七日出立の際俄かに寒けが致しまして熱酷しく相成り心に考えさして貰いまして、二十八日出立仕りましたが如何御知らせ下さいますや願)明治二十六年十一月二十七日
清水与之助身上事情の願明治二十六年十二月十五日
中山会長より東京行の事情に付御願明治二十六年一月二十七日
鶴田嘉七六十二才七十日程絶食に付身上伺明治二十六年三月二十二日
深谷源次郎それ/\派出の件願明治二十六年五月八日
松村善十郎六十五才身上願明治二十六年八月四日 朝
奥西要蔵妻おすゑ四十才身上願(大和国山辺郡東山村大字水間 出張所長妻)明治二十六年十一月十六日
村田忠七身上願明治二十六年一月十九日
増野正兵衞身上障り伺明治二十六年二月五日 午後一時三十分頃
本席御用場普請の事に付、これまでの処詰員一同の届かぬ儀御詫び申し上げて御許しの願