明治二十三年九月三日 朝
上原佐助願明治二十三年九月十六日
村田長平おさづけさしづ明治二十三年九月二十九日
村田幸助身上願明治二十三年十月二十日
若井村松尾与蔵母はるのぼせ歯痛に付、尚小人次男市太郎も身上に付併せて願明治二十三年十一月十四日
郡山分教会島ケ原支教会願下付に付、押して願い度く一同決議の上願明治二十三年十一月二十四日
増野正兵衞中山会長の御許しをうけ加古支教会所開講に出張に付御許願明治二十三年十二月一日
増野正兵衞気分悪しくに付伺明治二十三年十二月二十三日
増野正兵衞居宅新築に付御許しの願明治二十三年一月二十日
今村斧太郎二十四才(大阪内本町橋詰町天恵四番)明治二十三年四月二日
和田ひな四十三才身上願明治二十三年五月十三日
扇ゑん身上願明治二十三年七月八日
結城安治郎五十三才身の内のぼせ痛みに付伺(河内国若江郡柏村新田)明治二十三年十一月二十四日(陰暦十月十三日)午前八時
天野善七妻ムメ四十才明治二十三年頃
増田伺明治二十三年一月四日
桝井伊三郎、村田長平同住の願明治二十三年一月二十五日
清水与之助身上願明治二十三年三月四日
増野正兵衞、先日小人障り、又家内障りによって、日々取扱いの事を御聞かせ蒙り、いかなる取扱いにてありますや、色々考えますれど分かり難きに付、押して伺明治二十三年三月二十日(陰暦正月三十日)
表の門西へ二十間立壁出来、山沢の宅を西へ引き、西の納屋を裏の地所に引き、教会所の東方建増二間十間、裏の地所三方へ板柵の御許し願明治二十三年四月十一日 午後七時
本席身上御障り願(中山会長阿波に行きて御座るに本席身上御障り)明治二十三年四月二十一日(陰暦三月三日)
梅谷四郎兵衞身上の願明治二十三年五月二日 午後
兵神分教会部内飾磨真明講に支教会所御許しの願(飾東支教会)明治二十三年五月十六日
出直後、証拠守取扱いの事情願明治二十三年六月三日 朝
兵神分教会部下加古支教会出願の願明治二十三年六月十四日(陰暦四月二十七日)
教会所内へ井戸西側に御許し願明治二十三年六月二十四日
諸井国三郎身上より登参の上伺明治二十三年七月三日(陰暦五月十七日)
裏門西東白壁に塗る御許しの願明治二十三年七月十五日(陰暦五月二十九日)
おさづけ順序後へ御話明治二十三年八月四日
増野正兵衞朝をびやつとめを済ませてから、身が何となくしんどくなりし故、宅で休み、暫くして起きたるが腹が下り、その後速やかおたすけを頂きしも、案じの事も無きやと、いろ/\思案すれども、分かり兼ねるに付伺明治二十三年八月十三日
中山会長御帰宅まで本席の身上御救け下されとの願明治二十三年八月二十六日
増野正兵衞の実母山口県長門国阿武郡萩御許町五十五番地にありて、急病なる由電信を以て申越せしが、存命なるや、身上は叶わんものであるや願明治二十三年九月三日
桝井伊三郎小人つゆ願明治二十三年九月十七日(陰暦八月四日)
内々のおさづけ順席は順を運んで出よ、とのおさしづに付、順とは九度の別席或は試験の事でありますかの願明治二十三年九月三十日 午後九時
刻限御話明治二十三年十月二十日
桝井伊三郎移宅の願明治二十三年十一月十四日
河原町分教会甲賀支教会再願の伺明治二十三年十一月二十四日(陰暦十月十三日)
清水与之助身上願明治二十三年十二月一日
村田かじおさづけ事情願明治二十三年十二月二十三日
喜多よし身上三四十日程血下るに付願明治二十三年一月二十一日(陰暦閏十二月朔日)
西沢増吉三十五才(滋賀県近江国蒲生郡中山村河原町分教会二十四号)明治二十三年四月四日
中西殷二十二才(紀州国那賀郡中貴志村大字前田心勇講周旋方)明治二十三年五月十五日(陰暦三月二十七日)
麻植房次郎身上願明治二十三年八月二日
増田甚七伺明治二十三年十一月二十四日
岩崎新兵衞家内中出物お障り、又伜万吉鎮台行の事情願明治二十三年一月六日
増野正兵衞及妻、母身上障り伺明治二十三年一月二十五日(陰暦閏十二月五日)
上野きく願(梅谷四郎兵衞妻の母)明治二十三年三月四日(陰暦正月十四日)
永原村岡本善六伜栄太郎十八才身上に付願明治二十三年三月二十日
中山たまへを灘の岸田へ預け修行に出す事を、中山会長より御願明治二十三年四月十三日(陰暦二月二十四日)午前六時五十分
中山会長、梶本松治郎、平野楢蔵、山本利三郎、阿波撫養支教会開筵式より御帰会になるや、直ぐと本席御身上に付御願明治二十三年四月二十一日
村田すま身の障り願明治二十三年五月六日
平野トラ身上願