明治二十三年十一月二十三日(陰暦十月十二日)
御願
さあ/\尋ねる事情/\身上という。さあ/\どういうものである。いかなる事である、尋ねるまでのもの。身の処どれ程自由不足なってあれども、案じる事は無い。世上という、どんな事でも案じる。さしづは案じやせん。どれだけ身の処障りが付くも案じる事は要らん。長いゆとりは要らん。夕景までの理を諭すから内々皆んな聞いて同んなじ事である。案じりゃ色を替え品を替え、何ぼでも案じんならん。実実世上内々も同んなし事情、これから話掛ける。旬々急ぐ事情、身上速やかなれば何時なりとしっかり事情を固めてくれ。未だいかんというは心に跨がりの理があるから。だん/\のさしづ刻限という、さしづという、をやの代りをやの代理という理を聞き分けるなら、見て直ぐと治まる。珍しさしづをして置く。夕景までの事情を固め。
押して願
さあ/\/\親々の事情、をやの事情、これまで始め掛けたる事情、親々の事情よう聞き分け。諭しようにも諭しようがある。親々という余儀無く事情、又々席に一つの事情、変わった事情は諭せん。席として出張れば本席と成って、これまで事情を治め諭し来たる。これからは何も彼もさしづ通り、どんな事にもさしづは一寸も間違わん。心に跨がりあっては千里真直ぐな道でも、跨がりあっては明らかとは言わん。難しい事は言わん。よっくこれを聞いてくれるよう。さあ/\/\親々の事情、をやの事情、これまで始め掛けたる事情、親々の事情よう聞き分け。諭しようにも諭しようがある。親々という余儀無く事情、又々席に一つの事情、変わった事情は諭せん。席として出張れば本席と成って、これまで事情を治め諭し来たる。これからは何も彼もさしづ通り、どんな事にもさしづは一寸も間違わん。心に跨がりあっては千里真直ぐな道でも、跨がりあっては明らかとは言わん。難しい事は言わん。よっくこれを聞いてくれるよう。