明治二十年十一月十三日
梅谷秀太郎身上願

さあ/\、数々の尋ねる処、数々のさしづは要らん。どう思うてもこう思うても、めん/\の思うように成らせんで。善き事というものゝ、理が回り来るのやで。通り難くい道や、通り難くかろう。そこで、皆無理に願う。許しはする。どう思うても、心に思うようには成らせんで。何ぼ心に思うても、働いても、引き戻しがなるで。通り難くい道や、止め切りたる処、どういうものや、と、思うやろう。あちらこちらに踏み止めてある。これをよう聞き分けねばならんで。一日々々と光が見えて来るのやで。そこで一日は千度と言うて、今までにも、何度も聞かしてあるのやで。その日刻限が来たなら、確かに見えて来るのやで。そこで一つの理を聞かして置こう。二十年以来に、大工伏込みと言うて置いた。二十年以来には、どう思うてもという事やと思うて、二三年も忘れたか、と、思うような日もありた。なれど、真実々々というものは、忘れようと思うたて、忘られ切るものではない程に。その道、日が通り経ちたなら、何でも神の思うように成るのや。このやしきに、一つの証拠がある。

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