131.神の方には 131.神の方には 教祖は、お屋敷に勤めている高井直吉や宮森与三郎などの若い者に「力試しをしよう」と仰せられ、ご自分の腕を「力の限り押さえてみよ」と仰せられた。けれどもどうしても押さえ切ることが出来ないばかりか教祖が少し力を入れてこちらの腕をお握りになると、腕がしびれて力が抜けてしまう。すると「神の方には倍の力や」と仰せになった。 2018.08.15
132.おいしいというて 132.おいしいというて 中田、山本、高井など、お屋敷で勤めている人々が時々近所の小川へ行って雑魚取りをする。そして泥鰌モロコ、エビなどを捕ってくる。そしてそれを甘煮にして教祖のお目にかけると教祖はその中の一番大きそうなのをお取り出しになって子供にでも言うて聞かせるように「みんなにおいしいというて食べてもろうて、今度は出世しておいで 2018.08.15
133.先を永く 133.先を永く 明治十六年頃、山沢為造にお聞かせ下されたお話に、 「先を短こう思うたら、急がんならん。けれども、先を永く思えば、急ぐ事要らん。」 「早いが早いにならん。遅いが遅いにならん。」 「たんのうは誠。」と。 2018.08.15
134.思い出 134.思い出 明治十六、七年頃のこと。孫のたまへと、二つ年下の曽孫のモトの二人で、「お祖母ちゃん、およつおくれ。」と言うて、せがみに行くと、教祖は、お手を眉のあたりにかざして、こちらをごらんになりながら、 「ああ、たまさんとオモトか、一寸待ちや。」と、仰っしゃって、お坐りになっている背後の袋戸棚から出して、二人の掌に載せて下さ 2018.08.15
135.皆丸い心で 135.皆丸い心で 明治十六、七年頃の話し。久保小三郎が子供の楢治郎の眼病を助けていただいて、お礼参りに妻子を連れておぢばへ帰らせて頂いたときのことである。教祖は赤衣を召してお居間に端座しておられた。取り次ぎに導かれて御前へ出た小三郎は、恐れ多さに頭も上げられないほど恐縮していたしかし楢治郎は当時七八さいのこととて気兼ねもなくあたり 2018.08.15
136.さあ、これを持って 136.さあ、これを持って 教祖が、監獄署からお帰りになった時、お伴をして帰って来た仲田儀三郎に、監獄署でお召しになっていた、赤い襦袢を脱いでお与えになって、 「さあ、これを持っておたすけに行きなされ。どんな病人も救かるで。」と、お言葉を下された。 儀三郎は、大層喜び、この赤衣を風呂敷に包んで、身体にしっかりと巻き付け、おたす 2018.08.15
137.言葉一つ 137.言葉一つ 教祖が桝井伊三郎にお聞かせ下されたのに、「内で良くて外で悪い人もあり、内で悪く外で良い人もあるが、腹を立てる気儘癇癪は悪い。言葉一つが肝心。つく息引く息一つの加減で内々治まる。」と。又、「伊三郎さん、あんたは外ではなかなかやさしい人付き合いの良い人であるが、我が家に帰って、女房の顔を見てガミガミ腹を立てて叱ることは 2018.08.15
138.物は大切に 138.物は大切に 教祖は、十数度も御苦労下されたが、仲田儀三郎も、数度お伴させて頂いた。 そのうちのある時、教祖は、反故になった罫紙を差し入れてもらってコヨリを作り、それで、一升瓶を入れる網袋をお作りになった。それは、実に丈夫な上手に作られた袋であった。教祖は、それを、監獄署を出てお帰りの際、仲田にお与えになった。そして、 「 2018.08.15
139.フラフを立てて 139.フラフを立てて 明治十七年一月二十一日(陰暦 前年十二月二十四日)、諸井国三郎は、第三回目のおぢば帰りを志し、同行十名と共に出発し、二十二日に豊橋へ着いた。船の出るのが夕方であったので、町中を歩いていると、一軒の提灯屋が目についた。そこで、思い付いて、大幅の天竺木綿を四尺程買い求め、提灯屋に頼んで旗を作らせた。 その旗は、 2018.08.15
140.おおきに 140.おおきに 紺谷久平は、失明をお救け頂いて、そのお礼詣りに、初めておぢばへ帰らせて頂き、明治十七年二月十六日(陰暦正月二十日)朝、村田幸右衞門に連れられて、妻のたけと共に、初めて、教祖にお目通りさせて頂いた。その時、たけが、お供を紙ひねりにして、教祖に差し上げると、教祖は、 「播州のおたけさんかえ。」と、仰せになり、そのお供 2018.08.15