明治二十九年二月七日
桝井伊三郎小人孝四郎三才身上願明治二十九年三月十九日
南海部内大阪の講社大阪市西区阿波座戸屋町槌橋東入北側坪数一間二坪建物共買い入れ願明治二十九年四月二十二日
河原町分教会治め方に付、桝井伊三郎、平野楢蔵出張願明治二十九年六月二日
地所七筆合わせて反別五反二畝十九歩矢追楢蔵、八尾伊三郎、沢田忠蔵、中西徳松所持の処、治道支教会へ寄付の願明治二十九年八月二十二日
上原佐助身上申し上げ前さしづの理に付願明治二十九年十一月七日
これまで御守りの名称を、信符として出さして貰う御許しの願明治二十九年二月二十二日
鈴木円作長女ゆき身上願明治二十九年八月二十九日
森井宗吉長男宗太郎九才身上願明治二十九年十月十九日
葛原常松三十六才身上願明治二十九年二月十二日
堀内与蔵身上に続き娘ヨシ身上事情願明治二十九年三月十九日
松村吉太郎長男義孝身上障りに付願明治二十九年四月二十二日
山田作治郎次女ゆう身上願明治二十九年六月二日
高見宇市妻タメ二十五才身上願明治二十九年九月四日
芦津部内福知山支教会水害に付本部より二名見舞いに行く願明治二十九年十一月九日
神道本局の敷地教長の名称に成り居る処、本局へ寄付致し度きに付願明治二十九年二月二十三日
竹内伝太郎妻いと二十二才身上願(高知部内比江支教会長妻)明治二十九年九月六日
広岡あい四十七才身上願(青野原支教会長妻)明治二十九年十月二十五日
上田与三郎母ノブ七十一才身上願明治二十九年二月十八日
教祖十年祭に付仮屋二十間に二十五間の願明治二十九年三月二十一日 夜八時五十分
刻限明治二十九年四月二十三日
村田かじ身上願明治二十九年六月四日
増野正兵衞歯痛の障り願明治二十九年九月五日
撫養部内海部出張所増築二間に四間その外いろ/\願明治二十九年十一月十四日
梅谷分教会事情に付、会長笹西治良兵衞辞職に付願明治二十九年二月二十三日
西初太郎二十五才身上願明治二十九年九月八日
吉岡栄蔵妻さと三十一才身上願明治二十九年十一月七日
古川吉平事情願明治二十九年二月十八日
清水与之助身上二日間ばかりしんどうてたまらんに付願明治二十九年三月二十三日 午前二時
刻限明治二十九年四月二十五日
高知部内岩浜支教会地方事情に付願(和田、青木両名出張の付心得のため願)明治二十九年六月五日
永尾楢次郎、喜多治郎吉宮崎県及び九州地方へ巡廻の願明治二十九年九月九日
清水与之助心得の願明治二十九年十一月二十六日
宮森与三郎母身上願明治二十九年三月五日
松岡国松外家内中障り願明治二十九年九月八日
原田平蔵腰痛みに付願(芦津信徒九条村)明治二十九年十二月二日
宇野又三郎二十五才安田治三郎長女ふじ二十一才縁談事情願明治二十九年二月十八日
梅谷たか身上願明治二十九年三月二十四日 夜十二時半
刻限(教祖十年祭の後にて別席四五千人程もあり本席五六百人もある時、七日間本席御休みになりし時の事情)明治二十九年四月二十九日
河原町分教会治め方の都合により深谷徳次郎を副会長に願明治二十九年六月六日
城島分教会の地所所有名を、教長の名義に致し度き儀再願明治二十九年九月九日
諸井松太郎身上願明治二十九年十二月六日
山名部内甲府支教会長事情に付、当分山名分教会長兼任致し度く願明治二十九年三月二十九日
東保太郎身上又小人身上願明治二十九年九月八日
上田浅治郎七十才身上願明治二十九年十二月十七日
天満益右衞門身上願明治二十九年一月八日
城法支教会市川会長辞任するに付、山本藤四郎へ御許し下され度く願明治二十九年二月二十三日
増野正兵衞身上の願明治二十九年三月二十六日 夜
本部員一同より御詫び願明治二十九年四月二十九日
富松たみ身上願明治二十九年六月十二日
郡山部内山家出張所を分教会直轄に致し度く願