明治二十六年四月二十三日
上田民蔵より所事情願明治二十六年五月十二日 夜
これまで篠森事務所詰の処、本部員相談の結果、事務一切取り扱い見合わさすよう談示の上伺明治二十六年五月二十五日
西浦弥平小人やゑ身上願明治二十六年六月十二日
村田かじ身上の願明治二十六年六月二十二日
道の事件に付、郡山山中、増田両名より願明治二十六年七月八日(陰暦五月二十五日)
昨日本席席の中に御声止まり霞むよう成りたるに付願明治二十六年八月三日
諸方より雨乞い願いに来るに付、心得のため事情願明治二十六年九月二十三日
本席身上少々御障りに付願明治二十六年十月十日
中山たまへ御身上御伺明治二十六年十月二十二日
上田嘉治郎身上願明治二十六年十一月十一日
土佐卯之助重ねての願明治二十六年十一月二十八日 夜十一時二十分頃
刻限御話明治二十六年十二月十六日 昼十二時頃
本席昨夜歯痛み頭痛に付願明治二十六年一月三十日
沢田たみ疵跡身上事情願明治二十六年三月二十二日
板倉槌三郎身上願明治二十六年五月九日
深谷源次郎身上願明治二十六年九月十二日
坊春松身上願明治二十六年十一月二十二日
山口安太郎四十二才身上伺(天清三番講元)明治二十六年一月二十日
北分教会茨木へ頂きし教祖赤衣と講社へ頂きし赤衣と二つ一つにして御祀り申し度きに付願明治二十六年二月六日 朝
事情願明治二十六年二月二十一日
来たる陰暦二月一日二日本席六十一才御祝の事情願明治二十六年三月九日
増野正兵衞身上の願明治二十六年三月二十六日(陰暦二月九日)
本席御普請の石搗き明十日十一日に致し度きに付御許しの願明治二十六年四月十日(陰暦二月二十四日)
村田幸助目の処、妻すま咳出る処願明治二十六年四月二十四日
この間本席身上願のおさしづにより、毎月十六の日及び月次祭当日併せて一箇月七日間御休み事情願明治二十六年五月十四日 朝
本席俄かに御身上願明治二十六年五月二十五日
氷室の事件の願明治二十六年六月十三日
分支教会長より本部普請の事情議決に付願明治二十六年六月二十二日
前川菊太郎妻こたま身上の願明治二十六年七月八日
桝井伊三郎身上願明治二十六年八月四日
高安分教会より雨乞いの願(五箇村の村長惣代村民より願、昨日おさしづに基き、世界の雨乞いの事情も心得のため願)明治二十六年九月二十八日
増野正兵衞腹痛み、いとも腹張り後通じ悪しく、然るに神戸春野利三郎赤痢病の由申し越しに付伺明治二十六年十月十日
山本利八本部にてする用向きに付願明治二十六年十月二十五日
矢追楢蔵外二名信州地方へ講社弘めに行き、未だ何んの便りも無きに付願明治二十六年十一月十二日
永尾楢次郎小人きぬゑ身上願明治二十六年十一月二十八日
先の分支教会出張所大祭に付提灯立て旗出す事本部へ願いに参りますが、一つ/\神様へ御願い申し上げなければなりませんや心得のため願明治二十六年十二月十六日 夜十二時
刻限明治二十六年一月三十日
沢田せい左の親指煩いに付伺(疵跡と同時さしづ)明治二十六年三月二十二日
新九郎身上願明治二十六年五月九日
川勘五郎身上願明治二十六年九月二十六日
浅田徳二郎辻いそ縁談事情願明治二十六年十二月七日
山田太右衞門身上願明治二十六年一月二十日
誠心講社奈良布教事務取扱所の月次祭毎月陽暦一日、説教日毎月陽暦十五日、及び鳴物六つ御許し願明治二十六年二月六日
平野楢蔵江州へ出張願明治二十六年二月二十二日
増野正兵衞身上の願明治二十六年三月十一日
飯降さと前の通り身上に付再び願明治二十六年三月二十八日(陰暦二月十一日)
本部内に延べ石を敷く儀願明治二十六年四月十三日
昨冬教長の御供致し東京へ運び事情に中人の事情に付内務省社寺課長への運びの願(前川菊太郎、平野楢蔵、清水与之助)明治二十六年四月二十五日
永尾よしゑ身上の願明治二十六年五月十五日
日々運び事情三点の処、この頃沢山つかえてありますから何とか御許し下さるや願