明治二十五年二月十六日
桝井安松目の事情に付願明治二十五年二月二十四日 夜
永尾よしゑ身上速やかならず、上田ナライト帰る心にならぬより願明治二十五年三月三日(陰暦二月五日)
南海支教会所分教会に引き直しの願明治二十五年三月十二日
芦津部内池田支教会設置に付地方庁へ出願の願明治二十四年八月四日
清水与之助三木支教会を経て加古、飾東支教会へ派出の願明治二十四年八月二十一日
天地組講社取扱所なる元若松町百二十番屋敷は、家主の都合にて明け渡しせねばならずに付、同区木幡町四百六番屋敷へ仮移転の願(北分教会)明治二十四年一月八日 朝
網島天水組集談所の願明治二十四年一月二十二日
寺田半兵衞身の障りに付願明治二十四年二月七日(陰暦十二月二十八日)夜二時
刻限明治二十四年二月十七日
教職昇級の事に付、五月より難しくなるに付、東京より今の内に昇す者あれば昇級さするが宜しと申し来たりしに付、これが昇級さしましても宜しう御座りますや願明治二十四年二月二十七日(陰暦正月十九日)
大和郡山分教会池田村にて支教会の願(中和支教会)明治二十四年三月十二日
高安分教会教祖五年祭四月一日、月次祭陰暦二月二十三日に勤め度き願明治二十四年三月二十五日
増野正兵衞及び道興の障りに付願明治二十四年四月十四日
東分教会役員秋田県へ出張の御願引き続きての御話明治二十四年四月二十日
山沢為造声がかすりて身上障りに付事情願明治二十四年四月三十日
天地組より大隅行の伺(北分教会)明治二十四年五月十二日
梅谷四郎兵衞身上願明治二十四年五月二十二日
増野いと右の手痛み俄かに腫物出来しに付伺明治二十四年六月五日
芦津分教会設置に付地方庁出願の儀願明治二十四年六月十七日
諸井政一身上障りに付伺明治二十四年七月五日
諸井国三郎本月より十月まで国々先々巡廻の御許し願明治二十四年七月十九日
芦津分教会地所の処他にて買い求め度くに付願明治二十四年九月二十四日
高安分教会部内講社講名思い/\の相成り居るに付、将来その儘に捨て置いて然るべきや、又講名を一手にして号を以て区別致すべきや伺明治二十四年十月三日
教祖御休息所庇(ひさし)修繕願明治二十四年十月十五日
山本利三郎普請事情に付願明治二十四年十月三十日
撫養支教会を分教会に引き直しの願明治二十四年十一月六日
永神講の内菅原村講分離の御願(梅谷講社)明治二十四年十一月十五日
南海支教会所開筵式十二月四、五日(陰暦十一月四日五日)御許しの願明治二十四年十一月十九日
増野松輔少しおたすけ蒙り今一段おたすけの程願明治二十四年十一月三十日
梅谷とみゑ五才胸先迫るに付願明治二十四年十二月十八日
志紀分教会の処会長は神様の御許し山本利三郎なるも、地方庁出願に就ての担任は板倉槌三郎と、場所は南高安村大字恩智に定め、名称を中河分教会と改め再願の件に付願明治二十四年十二月二十九日
増野松輔身上の願明治二十四年一月十九日
板倉身上願明治二十四年三月十九日
堀内与蔵伺(檪枝)明治二十四年五月十日
松尾芳松母つね身上願明治二十四年六月十九日
萩原治兵衞六十一才願明治二十四年八月五日 午後六時半
深谷源次郎七日前より腹下だり痛みに付伺明治二十四年九月十日
山瀬文次郎家内身上願明治二十四年十月二日
宇野善助本部にて身上障り願(滋賀支教会出願の時)明治二十四年十月二十四日
植谷浅次郎身上願明治二十四年十一月十七日
山瀬文次郎身上願明治二十四年十二月二十四日
植谷浅次郎三十八才身上事情願明治二十五年一月十日
神楽歌本再版致しましたものにや、原版をさらえて其儘使用して宜しく御座りますや伺明治二十五年一月十八日
村田幸助妻すま身上障りに付御願明治二十五年一月二十六日
高安分教会南方土蔵納屋取り払いに二間八間の二階、一間半の玄関普請の願明治二十五年二月九日
兵神部内美嚢支教会居地大嶋か又は下村の願明治二十五年二月十七日(陰暦正月十九日)夜
永尾よしゑ身上今一段速やかならぬ故願明治二十五年二月二十五日
松村ノブ目の障り願明治二十五年三月三日
河原町部内若狭国小浜に於て支教会設置の願(小浜支教会)明治二十五年三月十四日
蜜柑畑の地所買い入れるに付願