明治二十四年一月十六日
増田甚七の願明治二十四年一月三十日(陰暦十二月二十日)午後一時
親族一同出席の場にて御話明治二十四年二月十一日(陰暦正月三日)
前おさしづにより、本局へ教祖五年祭に一人も御出張無きよう御断りのため前川菊太郎出張の事情願明治二十四年二月二十二日
五年祭の当日御墓参り致しましたもので御座いますや伺明治二十四年三月五日(陰暦正月二十五日)
教祖御出張りを上段の間となし、こゝにて式をなし、かんろだいでおつとめ御許しを願明治二十四年三月二十四日
辻とめぎく身上願明治二十四年四月一日(陰暦二月二十三日)
教祖五年祭当日高安分教会に於ても本部通り祭式の後、祭官一同あしきはらい二十一度かんろだい御勤後にて御勤御許し願明治二十四年四月十八日
梅谷分教会を梅谷村に設置の願明治二十四年四月二十七日
本席戸主の名前政甚へ切り換えを明日運ぶ願明治二十四年五月十日
先のおさしづに基づき心得のため願明治二十四年五月二十一日
河原町分教会部内西陣支教会設置に付府庁へ出願の事情願明治二十四年六月三日
茨木基敬大分県豊前国下毛郡中津金屋本町に所在する豊前天恵四番講長(旧大阪泉田藤吉)へ参り度きに付心得のため事情願明治二十四年六月十二日
清水与之助国元へ一度帰り万事心掛かり治め度きに付願明治二十四年七月一日
鴻田忠三郎越後行の事情願明治二十四年七月十二日
兵神分教会部内黒川真明講先き丹後国真明講、警察署より信仰は止めずして信票を張る事ならぬと厳しく申すに付、兵神分教会より中井宗七派出致すの願明治二十四年九月十三日
棟上げの事に付、分支教会へ知らせたものでありますか、知らさず置きたものでありますか願明治二十四年九月三十日
大和国十津川日の元講へ派出の願明治二十四年十月十一日
大阪天地組分教会地所買い入れの願明治二十四年十月二十一日
東分教会長上原佐助歯痛に付願明治二十四年十一月三日 午後六時
梶本松治郎身上厳しきに付願明治二十四年十一月十三日 朝
平野楢蔵身上願明治二十四年十一月十六日
清水与之助身上の願明治二十四年十一月二十五日
芦津分教会部内笠岡支教会所月次祭陰暦十六日、説教日陽暦六日十六日二十六日の御許し伺明治二十四年十二月十四日
天地組の分教会設置に付、神道本局管長より添書到着せしに付、府庁へ出願致し度く願明治二十四年十二月二十八日
南海支教会説教日は陽暦一日、月次祭は陰暦五日との願明治二十四年一月十三日
郡山分教会山城講社取り堅めの願明治二十四年三月十二日
磯村卯之助身上願明治二十四年四月二十三日
杉本清八六十七才身上事情願明治二十四年六月三日
今西万吉内々事情願明治二十四年七月八日
宮森与三郎小人与彦身上願明治二十四年九月一日
飯降政甚神戸へ帰る願明治二十四年九月二十九日
松尾芳松次男雄太郎六才身上願明治二十四年十月十六日
岡本久太郎妻かつ三十九才身上願(夫留守中上げ下だしに付)明治二十四年十一月六日
吉岡栄蔵三十才身上願(斯道会第二百四十八号)明治二十四年十二月三日
松尾唯之助妻おしん三十一才身上事情願明治二十五年一月七日
本席事情御運び下されし上御願明治二十五年一月十四日 夜
前々よりのおさしづの件、中山会長へ運びし後にて願明治二十五年一月二十五日
増野正兵衞咳及び鼻血出るに付願明治二十五年二月八日
御津支教会設置に付大阪府へ出願事情願明治二十五年二月十六日(陰暦正月十八日)夜
一昨夜永尾よしゑ身上おさしづより、上田ナライトの戻りの御礼返事併せてよしゑ身上の願明治二十五年二月二十四日(陰暦正月二十六日)
伊賀信徒葬祭紛糾事情に付伺明治二十五年三月一日
辻いそ身上願明治二十五年三月十一日
奈良支教会出願の件願明治二十四年八月四日
飯降政甚帰和の事を清水与之助より伺明治二十四年八月十一日
天地組分教会設置に付、地所買い入れの件に付願(北分教会)明治二十四年九月七日
寺田半兵衞身上にて七日前より夜分咳出で、昼は速やかなるに付願明治二十四年一月十八日
桝井伊三郎、高井猶吉両名大阪真明組へ出張に付伺明治二十四年一月
紺谷久平教会内へ引き越しの願(飾東支教会)明治二十四年二月十二日
高安分教会教祖の御霊を教会所の北側押入に致すべきや、又は座敷に致すべきや伺明治二十四年二月二十二日
五年祭に付信徒には竹の皮包み、通常参拝人には弁当を饗する願