明治二十九年一月八日
井筒梅治郎身上願明治二十九年二月二十九日(陰暦正月十六日)
教祖十年祭の事に付、日取りは二十五六の積りの処、五年祭は二十六七八の三日間に有之に付如何にさして頂きまして宜しきや伺明治二十九年三月二十七日 夜八時
刻限明治二十九年五月一日
梅谷たね身上伺明治二十九年六月十五日
郡山部内山家出張所付属替え願明治二十九年九月十四日
大裏戌亥の隅へ南北十四間東西十四間半四間梁前に八尺の庇付建物御許し願明治二十九年十二月七日 夜
安堵飯田岩治郎身上御願の後にて明治二十九年五月十五日
向井儀平身上願明治二十九年九月十九日
横山与八家内中身上願明治二十九年一月十五日
撫養部内高松出張所教堂五間に二間半板間四間に三間座敷一間半二間炊事場二間に四間井戸一箇所、便所二箇所、事務所一間に一間半、外に居宅一箇所門一箇所願明治二十九年二月二十九日(陰暦正月十六日)夕方
今日昼のおさしづは二十七日に十年祭というさしづの処、五年祭の日記を調べたれば、二十六日は五年祭、二十七日は大祭執行の事に記してありましたから、如何にして勤めまして宜しきや伺明治二十九年三月二十七日 夜
刻限の次に平野楢蔵胸迫りし時の願明治二十九年五月三日
永尾楢次郎小人せつ、たつゑ、きぬゑ身上願明治二十九年六月十六日
教長箱根へ御出の儀御願明治二十九年九月十六日
撫養分教会長土佐卯之助身上伺明治二十九年十二月九日
深谷源次郎本部庶務見習に繰り上げる願明治二十九年五月十八日
和田平三郎次女きくゑ二才身上願明治二十九年九月二十五日
松尾兵五郎五十八才身上願明治二十九年一月十六日
増野正兵衞身上声出ぬ障りに付願明治二十九年二月二十九日(陰暦正月十六日)
山沢為信身上願明治二十九年三月二十七日
中河分教会教祖御殿落成に付、遷座式陰暦二月十九日夜に行い度く二十日は十年祭、十八日に本席招待、十九日教長招待願明治二十九年五月十一日
井筒梅治郎娘たね十八才、松村五三郎二十三才縁談の願明治二十九年六月十七日
本部長随行に橋本清、平野楢蔵両名の願(併せて平野楢蔵東分教会事情治め方兼ねて行く儀願)明治二十九年九月二十一日
本部より信徒へ渡すべき神鏡の祈念は如何に願いまして宜しきや伺明治二十九年十二月十三日
前川梅吉宅地買い入れの件願明治二十九年五月二十九日
上田善兵衞四十四才身上願明治二十九年九月二十六日
中西菊太郎妻よね身上願明治二十九年一月十九日
紺谷久平目かいの障り願明治二十九年三月六日
網島分教会三月二日夜鎮座祭、同三日開講式、同四日大祭兼十年祭執行の儀願明治二十九年三月三十一日 夜九時
刻限明治二十九年五月十三日
高安分教会役員安藤鶴松の遺族を教会へ引き移し度く願明治二十九年六月十七日
郡山部内北陸支教会所都合により元の雲浜出張所跡へ移転し万事事務取扱い致し度く願明治二十九年十月四日 夜
井筒梅治郎身上障りに付願明治二十九年十二月十五日 午後四時
増井幾太郎次女ヨシヱ身上願明治二十九年六月八日
小山又四郎身上願明治二十九年九月二十九日
小西彦七三十才身上願明治二十九年一月二十五日
台所の裏門壁及び教長宅の湯殿を取り除き、客殿の廻り東北西に壁を立てること、西の方に門を立てること、元の教会の裏門壁とも取り除け、又木小屋大工小屋柴小屋を取り除けること願明治二十九年三月十三日
各部内分支教会に於て教祖十年祭の節広き場所へ御遷りの願明治二十九年四月四日 夜一時
刻限御話明治二十九年五月十四日
永尾せつ左の耳より喉へかけて出物願明治二十九年六月二十一日
山沢ひさ歯痛み肩にこりつめ願明治二十九年十月五日(陰暦八月二十九日)
梅谷四郎兵衞身上事情より定めたる事情願明治二十九年十二月十八日
平野トラにおさしづ明治二十九年六月二十日
北村繁太郎妻ます身上願明治二十九年九月二十九日
常極仁右衞門身上願(名草支教会長)明治二十九年一月三十一日
城法支教会敷地寄付の願明治二十九年三月十三日
高安分教会教祖十年祭陰暦二月二十三日今回教会移転する地所に於て仮小屋を設け勤める事情願明治二十九年四月九日
増野いと身上居所の願明治二十九年五月二十日
五月十八日会議案の点に付願明治二十九年六月二十八日
中山もと十八才身上願