明治二十九年二月五日
桝井伊三郎地所買い求めの願明治二十九年三月十六日
島村菊太郎妻銀代三十六才身上願明治二十九年四月二十一日
内務省訓令発布相成りしに付、心得まで伺明治二十九年五月二十七日
田中松二郎小人身上願明治二十九年八月四日(陰暦六月二十五日)
大裏西手方北より西南へ廻り壁建てる願明治二十九年十月二十五日
山田伊八郎及び長男長女身上願明治二十九年一月十七日
杉本鐵之助三十一才身上願明治二十九年八月一日
前田喜四郎四十六才身上願明治二十九年十月十日
越智久八二十九才身上願(愛豫支教会長)明治二十九年二月五日
寺田半兵衞身上願(五六日前より頭痛せし故願、その時二月二日におぢばへ出でし後娘たき咳出でしに付悩みを心に兼ねての願、この時の出席、教長、梅谷四郎兵衞、桝井伊三郎、鴻田忠三郎、取次高井猶吉書取板倉槌三郎)明治二十九年三月十九日
東分教会当地事務所用地に豊田村字楢田持主西田二反二畝歩買い入れ度く願明治二十九年四月二十二日
陰暦本月二十七日招魂祭執行願明治二十九年五月三十一日
城作治郎屋敷地所買い入れの願明治二十九年八月十八日
上原佐助身上願明治二十九年十一月六日
松村五三郎、井筒たね婚約整いたる処同月十八日結婚式に付願明治二十九年二月十八日
安堂鶴造四十八才身上願(高安分教会役員)明治二十九年八月六日
加見兵四郎五十四才身上願明治二十九年十月十八日
畑中国楠妻くま三十四才身上願(有田支教会長妻)明治二十九年二月七日
桝井伊三郎小人孝四郎三才身上願明治二十九年三月十九日
南海部内大阪の講社大阪市西区阿波座戸屋町槌橋東入北側坪数一間二坪建物共買い入れ願明治二十九年四月二十二日
河原町分教会治め方に付、桝井伊三郎、平野楢蔵出張願明治二十九年六月二日
地所七筆合わせて反別五反二畝十九歩矢追楢蔵、八尾伊三郎、沢田忠蔵、中西徳松所持の処、治道支教会へ寄付の願明治二十九年八月二十二日
上原佐助身上申し上げ前さしづの理に付願明治二十九年十一月七日
これまで御守りの名称を、信符として出さして貰う御許しの願明治二十九年二月二十二日
鈴木円作長女ゆき身上願明治二十九年八月二十九日
森井宗吉長男宗太郎九才身上願明治二十九年十月十九日
葛原常松三十六才身上願明治二十九年二月十二日
堀内与蔵身上に続き娘ヨシ身上事情願明治二十九年三月十九日
松村吉太郎長男義孝身上障りに付願明治二十九年四月二十二日
山田作治郎次女ゆう身上願明治二十九年六月二日
高見宇市妻タメ二十五才身上願明治二十九年九月四日
芦津部内福知山支教会水害に付本部より二名見舞いに行く願明治二十九年十一月九日
神道本局の敷地教長の名称に成り居る処、本局へ寄付致し度きに付願明治二十九年二月二十三日
竹内伝太郎妻いと二十二才身上願(高知部内比江支教会長妻)明治二十九年九月六日
広岡あい四十七才身上願(青野原支教会長妻)明治二十九年十月二十五日
上田与三郎母ノブ七十一才身上願明治二十九年二月十八日
教祖十年祭に付仮屋二十間に二十五間の願明治二十九年三月二十一日 夜八時五十分
刻限明治二十九年四月二十三日
村田かじ身上願明治二十九年六月四日
増野正兵衞歯痛の障り願明治二十九年九月五日
撫養部内海部出張所増築二間に四間その外いろ/\願明治二十九年十一月十四日
梅谷分教会事情に付、会長笹西治良兵衞辞職に付願明治二十九年二月二十三日
西初太郎二十五才身上願明治二十九年九月八日
吉岡栄蔵妻さと三十一才身上願明治二十九年十一月七日
古川吉平事情願明治二十九年二月十八日
清水与之助身上二日間ばかりしんどうてたまらんに付願明治二十九年三月二十三日 午前二時
刻限明治二十九年四月二十五日
高知部内岩浜支教会地方事情に付願(和田、青木両名出張の付心得のため願)明治二十九年六月五日
永尾楢次郎、喜多治郎吉宮崎県及び九州地方へ巡廻の願明治二十九年九月九日
清水与之助心得の願