明治二十二年三月二十日
峰畑為吉伺(宇陀郡見田村)明治二十二年六月二十七日
岡本やゑ二才身上願(中之庄村)明治二十二年七月二十八日
深谷源次郎下咳の悩み伺明治二十二年八月二十日
紙谷九兵衞身上伺(五十八才の時七月十日よりふら/\と致し、首よりつかえ、又、腰にて痛み、外の処速やかになると、又々足より右の足を痛み、日々の処身の処は、ぼち/\と仕事致して居ります。右の願)明治二十二年十一月二日
古沢弥兵治三十五才(近江国甲賀郡上村斯道会周旋方)明治二十二年十二月二十日(陰暦十一月二十八日)
宮森ヒサ身上願明治二十二年頃五月二十日 午後一時
天野家内願明治二十二年一月十三日(陰暦十二月十二日)
増井幾太郎妻みつえ二十九才願明治二十二年一月二十四日(陰暦十二月二十三日)午前八時五十五分
本席御障りに付願明治二十二年二月八日(陰暦正月九日)
大阪真明組分教会地所の処願(芦津分教会)明治二十二年二月二十一日 午前九時四十五分
本席身上御障りに付伺明治二十二年三月十八日(陰暦二月十七日)
松村吉太郎河内へ帰国に付御暇願明治二十二年三月二十八日
平野楢蔵家の願明治二十二年四月二十三日
増野松輔身上おたすけ御礼申上げ、主人先へ職を教えにやるのを、主人が職を知らん故、内へ置きましたものでありますや、又主人方へ其儘置いて宜しきや伺明治二十二年五月九日
松村吉太郎帰宅暇乞伺明治二十二年五月三十日(陰暦五月一日)
兵神分教会所へ清水与之助引移り願明治二十二年六月三十日
山名分教会講社先々説教所設置の願明治二十二年七月九日(陰暦六月十二日)
清水与之助身の内足共だるくに付願明治二十二年七月二十四日 午前八時三十分
永尾楢次郎口へ水わき、腹具合悪しきに付願明治二十二年八月四日(陰暦七月八日)夜十二時
刻限御話明治二十二年八月二十六日
撫養斎田村に於て支教会設置の願(撫養支教会)明治二十二年九月二十一日(陰暦八月二十七日)
清水与之助身の障り願明治二十四年三月十二日
梅谷四郎兵衞長男梅次郎十五才教祖五年祭に付本部に十四五日居る間に目の障りに付伺明治二十二年十月三十一日(陰暦十月八日)夜九時
刻限御話明治二十二年十一月十日(陰暦十月十八日)
先日東京に分教会所御許しになりしが、出張所を引払い、分教会と名称を変えては如何伺明治二十二年十二月一日
日々の席休む処の願明治二十二年十二月二十七日
村田かじ身上腹痛に付願明治二十二年二月二日 午前九時二十分
岡本久太郎妻かつ並びに娘十四才身上に付願明治二十二年三月二十六日(陰暦二月二十五日)
和爾部内に頂きしおさしづ明治二十二年六月二十八日
板倉へおひろを貰い受けるに付縁談事情願明治二十二年八月一日
石塚松治郎三十六才(江州辻町村真恵組講元)明治二十二年八月二十一日
小林長三郎三十六才(近州志賀郡飯賀立村周旋方)明治二十二年十一月二日
増田亀次郎身上願明治二十二年十二月二十五日
山瀬トヨ身上願明治二十二年頃五月二十三日
天野伺(郡山)明治二十二年一月十五日 午前九時二十分
大阪真明組分教会設置の伺明治二十二年一月二十四日(陰暦十二月二十三日)午前九時
飯降さと身上障りに付伺明治二十二年二月八日(陰暦正月九日)午後十時三十分
神戸分教会長につき増野に勤めて貰い度き由を講元周旋一同より申入に付、御許し下さるや、いかゞのものでありますや、増野正兵衞身上より伺明治二十二年二月二十一日 午後一時二十分
本席身上御障りに付願明治二十二年三月二十一日(陰暦二月二十日)
三月十日の取扱上のおさしづに続いて、日々取扱上の事に付おさしづ明治二十二年三月三十一日(陰暦三月朔日)午前九時三十分
郡山分教会所に御神楽御道具を御許しの願明治二十二年四月二十三日
山沢為造身の障りに付願明治二十二年五月十二日(陰暦四月十三日)
分教会所開筵式に付、これまで本部へ尽力の方は黒衣一組ずつ本部より下付して宜しきや伺明治二十二年六月一日
中山会長兵神分教会開講式に出張御許し願明治二十二年六月三十日
諸井国三郎小人ろく身上願明治二十二年七月九日(陰暦六月十二日)
清水はる身上願明治二十二年七月二十四日
平野楢蔵若狭行に付伺明治二十二年八月五日(陰暦七月九日)
船場紛議事件に付、山本利三郎、平野楢蔵出張調べ方の願明治二十二年八月二十六日(陰暦八月朔日)
増野正兵衞身上障り伺明治二十二年九月二十一日(陰暦八月二十七日)
清水与之助帰会の願