明治二十二年
中井宗七四十七才目の障り伺(神戸元町一丁目六十六番地)明治二十二年十月二十一日
春野ゆう六十八才喘息障り伺明治二十二年一月十八日(陰暦十二月十七日)
本席御身上の伺(休息所へと願えば)明治二十二年一月
平野楢蔵の願明治二十二年二月十四日
大和国平群郡若井村講元松尾与蔵二十九才おさづけさしづ明治二十二年三月六日(陰暦二月五日)
松村吉太郎の身上より、いんねんの理によりておさしづに預りたれ共、山本は河内に於て紋型無き処より弘めた方に付、此中のおさしづに、紋型無き処からと仰せられましたが、此辺如何にや伺明治二十二年三月二十六日(陰暦二月二十五日)
兵神分教会所去る陰暦二十六日地築に付、講社員多人数出て賑々しく致したる御礼申上げし時のおさしづ明治二十二年四月十七日(陰暦三月十八日)午後十時三十五分
刻限御話明治二十二年四月
兵神分教会所棟上の願明治二十二年五月二十五日(陰暦四月二十六日)
兵神分教会所新築落成に付区役所へ届済、この段御礼申上げ、就ては開講式の儀は陰暦五月五日六日両日御許し願明治二十二年六月十五日(陰暦五月十七日)
増野正兵衞前々おさしづ御聞かせ下されし処、毎々帰りまして恐れ入りますが、分教会の処談示もありますに付、帰る事御許し願明治二十二年七月六日
橋本清南海行願明治二十二年七月十七日(陰暦六月二十日)
増野正兵衞左の足小指障りの伺明治二十二年七月二十八日
梶本みきヱ脇下出物願明治二年八月十九日
清水与之助身上の願明治二十二年九月十日(陰暦八月十六日)
増野正兵衞咳の障り伺明治二十二年十月三日
増井りん願明治二十二年十月二十六日(陰暦十月三日)
おさしづの後へ御話明治二十二年十一月六日
永尾たつゑ身上願明治二十二年十一月二十三日 朝
清水与之助、平野楢蔵東京へ出張の件の後にて、清水与之助の身上の障り願明治二十二年十二月十八日
喜多治郎吉身上腫物に付願明治二十二年一月九日 午前十時
京都斯道会集談所講長深谷源次郎伺(教会所地面表口八間八分裏行二十一間百七十一坪二合三勺、京都下京区第六組松ケ枝町)明治二十二年三月三日(陰暦二月二日)
林つま四十六才(河内国喜連村講元)明治二十二年五月十四日
岡本久太郎長男太助十一才身上願明治二十二年七月十一日 午前七時四十分
植谷浅次郎身悩みに付願(元斯道会愛宕郡大原村第二十一号周旋方)明治二十二年八月九日
吉田梶太長女おさわ三才脳膜引き付け身上に付願明治二十二年九月十日
梅本善七長男永治五才十日前より出けものに付伺(大和国吉野郡平沼田村)明治二十二年十二月八日(陰暦十一月十六日)
天野善七四十一才胸つかえ腰悩み伺明治二十二年
深谷悦次郎伺明治二十二年十月二十一日(陰暦九月二十七日)
清水与之助身上願明治二十二年一月十八日(陰暦十二月十七日)
大阪天輪王社の名義は、六年以前に御許しを受け居りしを、今回本部より分教会の御許しを受けしに付、天輪王社の名義を取消す事の願明治二十二年二月二日(陰暦正月三日)朝
梅谷梅次郎、長堀材木商門田へ奉公に行くに付願明治二十二年二月十五日(陰暦正月十六日)
梅谷四郎兵衞下阪に付伺明治二十二年三月七日
清水与之助腹痛みに付願明治二十二年三月二十八日
平野楢蔵より伺、河内一国講社合併に付ては、恩智村は彼是申居るに付、一応参りて可然や伺明治二十二年四月十八日
平野楢蔵の願明治二十二年五月七日 午後十二時
永尾よしゑ頭痛、たつゑ夜泣きするに付、併せて願明治二十二年五月二十六日
増野正兵衞前さしづより前の障り伺(五月二十二日左の頭のぼせ耳が鳴り、二十三日夜俄に胸先へ厳しく迫り二十四日宜しく、二十六日右の手先の痛みにつき伺)明治二十二年六月十六日
喜多治郎吉身上に付願明治二十二年七月六日(陰暦六月九日)
梶本松治郎より白土屋の店預る事に願いし時おさしづ明治二十二年七月十七日
諸井国三郎小人たま身上願明治二十二年七月二十八日(陰暦七月一日)
梶本内浅田徳二郎身上障りに付願明治二十二年八月十九日
清水はる熱強く、上へ戻すに付願明治二十二年九月十六日(陰暦八月二十二日)
明二十三日兵神分教会月次祭なるも、清水与之助事情のため帰る事出来ず、よって増野正兵衞代りて神戸へ帰る事増野より伺明治二十二年十月四日(陰暦九月十日)
阿波国板野郡斎田村に於て支教会普請願(撫養支教会)明治二十二年十月二十六日(陰暦十月三日)
河内国松村栄治郎老母出直に付、中山会長斎主御許しの願明治二十二年十一月六日(陰暦十月十四日)午後九時
刻限御話明治二十二年十一月二十五日
前川菊太郎、梶本松治郎、永尾楢次郎、三名別席の願明治二十二年十二月十九日
増野正兵衞河原町分教会所開筵式に行き、十五日夜より腹痛夜々二度、昼も二度に付伺明治二十二年一月九日
田代兵蔵四十七才(滋賀県近江国甲賀郡三大寺村斯道会六十四号講元)