明治三十二年六月二十二日
山田作治郎前々のおさしづより役員運び方皆寄せたる理を申し上げて身上伺明治三十二年八月十一日
日本橋分教会長中台勘蔵辞職の件に付、増野正兵衞より書面を以て申し来たりその件取り扱い心得のため願明治三十二年九月一日
増野正兵衞咳出るに付願明治三十二年十月二日
永尾楢次郎身上もう一時治まらん故願明治三十二年十月二十四日
植田平一郎身上願(中和支教会)明治三十二年十一月二十三日
ペスト病予防のため秋季大祭延期の事を、警察より忠告により御許し願明治三十二年十二月十一日
水口支教会長藤橋光治良四十二才並びに長男長右衞門十二才身上願明治三十二年十二月二十九日
宮森ヒサ眼の障り願明治三十二年五月五日
内田久蔵十九才身上願明治三十二年八月三日
礒田源治三十七才身上願明治三十二年一月十八日
硲田邦平身上願明治三十二年十二月三日
上原伊助妻ミツ二十三才身上願明治三十二年一月十四日
本部丑寅の方城作次の地所買い入れに付、運んでも宜しく御座りますや願明治三十二年二月八日
松村ノブ身上願明治三十二年三月五日 朝
本席一年程以前より左の耳聞こえ難くいと仰せられしに付願明治三十二年四月十四日
甲賀山田太右衞門四十六才身上願明治三十二年五月十六日
増井幾太郎小人十三才、四才二人身上障りに付願明治三十二年六月二十五日
清水与之助本局へ交渉の結果一先ず清水帰本の上、本局へ掛け合い事情の願明治三十二年八月十一日
増井りん五十七才身上願明治三十二年九月一日
永尾よしゑ身上願明治三十二年十月三日
永尾楢次郎身上に付さんげ申し上げよしゑ、まさゑ、政甚の三名より願明治三十二年十月二十七日
松村さく身上の願明治三十二年十一月二十四日
村田かじ四十三才身上願明治三十二年十二月十二日
郡山分教会副会長増田甚七に致し度く願明治三十二年十二月三十一日 夜
飯降まさゑ七十日前より背骨悩みに付、相談の事情も共に申し上げて願明治三十二年五月九日
川合鹿造二十才東京に於て勉学中身上願明治三十二年八月八日
中津熊蔵妻布志六十二才身上願明治三十二年一月二十一日
植谷梅松妻こう二十七才身上願明治三十二年十二月八日
宮田善蔵四十五才並びに小人身上障りに付願明治三十二年一月十五日
本部丑寅の方城作次宅地引き合いに付、昨日お願い申せば席を変えて悠っくり尋ねよ、との事に付、右宅地に就ては如何と願明治三十二年二月九日(陰暦十二月二十九日)
村田かじ四十三才右の乳に出物に付願明治三十二年三月五日
山沢為造目の悩みに付願明治三十二年四月十五日
村田幸助へ桝井伊三郎次男安太郎貰い受ける縁談願明治三十二年五月十七日
本局大祭に付教長御上京の事情願明治三十二年六月二十六日
増野正兵衞左の下歯痛み、伜道興頭にくさ出来娘おとも鼻口くさ出来伺明治三十二年八月十二日
村田かじ四十三才身上願明治三十二年九月三日
富田伝次郎内々事情申し上げ願明治三十二年十月五日
刻限話(本席御運びの後、続いて永尾事情掛かりあり)明治三十二年十月二十九日
山沢為造東分教会へ出張する事願明治三十二年十一月二十六日
諸井ろく女学校へ寄宿する願明治三十二年十二月十二日
一昨日平野トラに頂きしおさしづより、運び方の事いろ/\申し上げ身上願明治三十二年二月六日
宮田善蔵に付心得まで願(芦津分教会内)明治三十二年五月十九日
関口定松長男貞造四才目の障りに付願(南海)明治三十二年八月二十八日
峰畑為吉三十九才身上願明治三十二年一月二十三日
吉岡栄蔵三十七才三浦悌二の三女せき二十五才縁談事情願(近愛)明治三十二年十二月十四日
深山に付、駒谷年雄縁談事情心得まで願明治三十二年一月十五日
前年(十二月三十日三十一日)の刻限おさしづに付、高き事情という処一寸申し上げ願明治三十二年二月十八日
清水与之助身上に付夫婦共本部へ勤める事定め願明治三十二年三月十三日
山名部内伊那支教会所以前解散致されしに付、今回再願致し度く分教会長及び副会長の心得までに伺明治三十二年四月十六日
水口支教会長藤橋光治良小人つるゑ四才身上願