明治四十年四月八日
一同一先ず引き取り、しばらくして飯降より姉まさゑの処、理の取違いの処は御詫び申し上げ明治四十年五月八日(陰暦三月二十六日)午前二時
明日やしきの間数差して申し上げます明治四十年六月五日(陰暦四月二十五日)
本席身上昨夜より苦痛止まざるに付、教長初め本部員一同親神様に御用の外は身上御楽に成し下されと祈願して本席の前へ出席の上午前八時半刻限の御諭明治四十年三月四日
梶本ミキヱ二十五才の処へ福塚信四郎三男秀雄二十七才なる者養子に貰い受け度く願明治四十年四月九日(陰暦二月二十七日)午前一時
刻限明治四十年五月八日(陰暦三月二十六日)夜十二時過ぎ
昨夜刻限にやしきの東西南北何間何尺計れとの事でありますから、今朝間数計り御両名へ申し上げし処、仰せには大図面引けとの事故、奥村へ申し付けてありますが、尚御身上速やかなりませんのは、他に何か御聴かし下さる事ありますか、教長始め一同揃うて居りますと申し上ぐ明治四十年六月五日(陰暦四月二十五日)午後二時
本席身上苦痛激しくに付、教長初め本部員一同出席の上刻限の御諭明治四十年三月十三日(陰暦正月二十九日)午前八時三十分
平野楢蔵とお話しありし時、俄かに刻限の話明治四十年四月九日 午前三時
又々御身上迫り内々一統心を定め、さんげは致し居りますから、御許しの程願い上げます明治四十年五月九日(陰暦三月二十七日)午前五時半
夜前のおさしづ読み上げ後、刻限の御話明治四十年六月五日(陰暦四月二十五日)午後三時
前のおさしづに付会議中又々御身上苦痛激しく成られ、教長初め一同出席後刻限の御諭明治四十年三月十三日 午後八時頃
上田ナライトの普請の事情、尚増野正兵衞会計の事情話しの時に俄かに御話明治四十年四月九日(陰暦二月二十七日)午後九時半
内々姉弟一統前おさしづより理の取違いの処だん/\さんげ致し、この度の親神様の御自由を見せて頂き恐れ入り、心身に取りきわめ、今後本席へは孝心の道を供え、安心して頂きます、又姉まさゑは今朝より少々身に患いを受けて居りますから、尚々出来る限りのさんげ致します、又平野楢蔵にもだん/\御諭貰い居ります事で、と政甚より申し上げるや直ちに明治四十年五月十三日(陰暦四月二日)
午前一時より本席身上御障り俄かに激しく相成りし故、教長初め本部員一同出席後二時刻限の御話明治四十年六月五日(陰暦四月二十五日)午後十時二十分
本席身上苦痛又々激しく相成り、教長初め本部員一同出席の後教長と受け答え