おさしづ

明治二十年陰暦七月
清水与之助耳鳴りのぼせの願

明治二十年陰暦七月清水与之助耳鳴りのぼせの願さあ/\一寸の身の障り、尋ねるなれば言うて聞かす。いかなる処何もどうこう、あゝやこうやと思うやない。どういう道もこういう道も、皆神の道やで。一つの印ある。これもよう聞いて置かねばならん。三年待たん。学者がした道でもなし、人間心でした道でなし、真実の神が天然自然の理で、五十年の間付け

明治二十年九月六日(陰暦七月十九日)
春野千代の身の障り伺

明治二十年九月六日(陰暦七月十九日)春野千代の身の障り伺さあ/\聞けよ聞け。道前々いかなる。もうこれ一寸理見えて、身の内たんのうの心定め。一つ談じて十分心運び、いずれ/\十分身の処、十分諭してやるがよい。心速やか、心踏ん張る。

明治二十年九月六日(陰暦七月十九日)
増野正兵衞神戸へ帰る際鼻咳に付伺

明治二十年九月六日(陰暦七月十九日)増野正兵衞神戸へ帰る際鼻咳に付伺さあ/\何かの処、俄に身の処不足、身の障りいかなると思う。一寸内々一寸思案早く身の障り、早く安心。内々遠く所だん/\通い、一段一つ事一段通い、だんだんどういう事聞き見る。三十日経てば三十日だけの道、どうか早く/\、心内なる処、十分諭して、今どう思えば、一年経

明治二十年九月六日(陰暦七月十九日)朝七時
梅谷梅次郎目の障りに付願

明治二十年九月六日(陰暦七月十九日)朝七時梅谷梅次郎目の障りに付願さあ/\しいかりと聞かねば分からん。道の道なら幾重の道もあり、小人の身の障りなる処は、あちらへも行きこちらへも行きて、勤める処の定めなれど、内なる処判然として、道が付いてあるようで、判然とせず、判然せぬようで、道が付いてあるのやで。さあこうしたなれど、これでは

明治二十年九月五日(陰暦七月十八日)
山田伊八郎へおさしづ

明治二十年九月五日(陰暦七月十八日)山田伊八郎へおさしづさあ/\何かの処、さあ/\よう聞き分けて。何かの処、たすけ一条、勇める処話を伝え。心発散すれば身の内速やか成るで。病というはすっきり無いで。めん/\の心が現れるのやで。さあ/\授ける処、しいかり受け取れ。あしきはらひたすけたまへ天理王命、三遍づつ三遍。

明治二十年九月四日(陰暦七月十七日)
増野正兵衞伺

明治二十年九月四日(陰暦七月十七日)増野正兵衞伺さあ/\つゝみなるもついで/\。身上行かずして、幾重話なりたる処、一丁一つ道、何程道、分かる分からん道。話一つどういう処話、集談何よの話。さあ/\一つ、どういう処心掛け、判然処、善し悪し案じる故、速やかとこれはという道もある。あちらもこちらも善き処、これはという道である

明治二十年九月四日(陰暦七月十七日)
増野いと居所障りに付伺

明治二十年九月四日(陰暦七月十七日)増野いと居所障りに付伺さあ/\身の処にて心得、身の障りいかなる処、思えども何にも分からん。定め居る。どうでもだん/\内々何かの処、定めの中に一時々々、一時その道判然、今一時定め居る。ひょと道のため一つ道ある。いかなるもこれもだん/\道も通り、定め一条それ/\心を開き、景況定め処、幾重一寸、

明治二十年八月二十五日(陰暦七月七日)夜十一時
刻限

明治二十年八月二十五日(陰暦七月七日)夜十一時刻限さあ/\、持ち込む/\、真を知らす。長い間の年限待ち兼ねたであろう。退屈であったであろう。あちらでもこちらでも、こんな神の道、苦労でならなんだであろう。ちゃんと話が出て来るで。どういう道も通して来たで。皆神がしたのやで。長い道退屈であろう。あちらへ知らせ、こちらへ知らせ、こん

明治二十年八月二十三日
梅谷四郎兵衞身上の願

明治二十年八月二十三日梅谷四郎兵衞身上の願さあ/\、道の道なら、通さにゃならん。なれど長い道、これもしいかり聞いて置かねばならん。どんと心を定めて運ぶなれど、この道は、いつ/\の事であろうと思うて、退屈であろう。そこで、内の事、何よの事も、こうあゝと思うてする事は、どうせにゃならん、こうせにゃならんと言うて、さしづは無い。さ

明治二十年七月
大阪近藤政慶若狭行きの伺

明治二十年七月大阪近藤政慶若狭行きの伺さあ/\尋ねる事情を、どうせともこうせとも、行けとも行くなとも、どうしてやろうこうしてやろうとも、この処、前から言うた事はないで。何事も皆銘々の心次第と言うてある事やで。何処に居ても月日の身の内や。何処に居るのも同じ事、誠の心一つや。誠が天の理や。天の理にさえ叶えば、何処に居ても道が付く