161.子供の楽しむのを 161.子供の楽しむのを 桝井キクは、毎日のようにお屋敷へ帰らせて頂いていたが、今日は、どうしても帰らせて頂けない、という日もあった。そんな時には、今日は一日中塩気断ち、今日は一日中煮物断ち、というような事をしていた。そういう日の翌日、お屋敷へ帰らせて頂くと、教祖が仰せになった。 「オキクさん、そんな事、する事要らんのやで。親は、 2018.08.15
162.親が代わりに 162.親が代わりに 教祖は、平素あまり外へは、お出ましにならなかったから、足がお疲れになるような事はないはずであるのに、時々、 「足がねまる。」とか、 「しんどい。」とか、仰せになる事があった。 ところが、かよう仰せられた日は必ず、道の子供の誰彼が、意気揚揚として帰って来るのが、常であった。そして、その人々の口から、「ああ、結構 2018.08.15
163.兄弟の中の兄弟 163.兄弟の中の兄弟 教祖は、ある時、 「この屋敷に住まっている者は、兄弟の中の兄弟やで。兄弟ならば、誰かが今日どこそこへ行く。そこに居合わせた者、互いに見合わせて、着ている着物、誰のが一番によい。一番によいならば、さあ、これを着ておいでや。又、たとい一銭二銭でも、持ち合わせている者が、互いに出し合って、これを小遣いに持って、さ 2018.08.15
164.可愛い一杯 164.可愛い一杯 明治十八年三月二十八日山田伊八郎が承ってしるした、おやさまのお話の覚え書きに、「神というて、どこに神がいると思うやろ。この身の内離れて神はなし。又内外の隔てなし。と言うは、世界一列の人間は、皆神の子や。何事も我が子の事思てみよ。ただ可愛い一杯のこと。百姓は、作り物豊作を願うてそれ故に、神が色々に思う事なり。又人間 2018.08.15
165.高う買うて 165.高う買うて 明治十八年夏、真明組で、お話に感銘して入信した宮田善蔵は、その後いくばくもなく、今川聖次郎の案内でおぢばへ帰り、教祖にお目通りさせて頂いた。当時、善蔵は三十一才、大阪船場の塩町通で足袋商を営んでいた。 教祖は、結構なお言葉を諄々とお聞かせ下された。が、入信早々ではあり、身上にふしぎなたすけをお見せ頂いた、という 2018.08.15
166.身上にしるしを 166.身上にしるしを 明治十八年十月、苣原村(註、おぢばから東へ約一里)の谷岡宇治郎の娘ならむめ(註、当時八才)は、栗を取りに行って、木から飛び降りたところ、足を挫いた。それがキッカケとなってリュウマチとなり、疼き通して三日三晩泣き続けた。 医者の手当てもし、近所で拝み祈祷もしてもらったが、どうしても治らず、痛みは激しくなる一方 2018.08.15
167.人救けたら 167.人救けたら 加見兵四郎は、明治十八年九月一日、当時十三歳の長女きみが、突然、両眼がほとんど見えなくなり、同年十月七日から、兵四郎も又目のお手入れを頂き、目が見えぬようになったので、十一月一日妻つねに申しつけておぢばへ代参させた。教祖は、「この目はなあ、難しい目ではあらせん。神様は一寸指で押さえているのやで。そのなあ、おさえて 2018.08.15
168.船遊び 168.船遊び 教祖は、ある時、梶本ひさ(註、後の山沢ひさ)に向かって、 「一度船遊びしてみたいなあ。わしが船遊びしたら、二年でも三年でも、帰られぬやろうなあ。」と、仰せられた。海の外までも親神様の思召しの弘まる日を、見抜き見通されてのお言葉と伝えられる。 2018.08.15
169.よう似合うやろな 169.よう似合うやろな 教祖は、お年を召されてから、お側に仕えていた梶本ひさに、「何なりと、ほしいものがあったら、そう言いや。」 又、 「何か買いたいものがあったら、これ、お祖母さんのに買いました。と言うて、持って来るねで。」と、仰せになった。 ある時のこと、行商の反物屋から、派手な反物をお買い求めになり、 「これ、私によう似 2018.08.15
170.天が台 170.天が台 梅谷四郎兵衞が、教祖にお聞かせ頂いた話に、 「何の社、何の仏にても、その名を唱え、後にて天理王命と唱え。」と。又、 「人詣るにより、威光増すのである。人詣るにより、守りしている人は、立ち行くのである。産土神は、人間を一に生み下ろし給いし場所である。産土の神に詣るは、恩に報ずるのである。」 「社にても寺にても、詣 2018.08.15