167.人救けたら

加見兵四郎は、明治十八年九月一日、当時十三歳の長女きみが、突然、両眼がほとんど見えなくなり、同年十月七日から、兵四郎も又目のお手入れを頂き、目が見えぬようになったので、十一月一日妻つねに申しつけておぢばへ代参させた。教祖は、「この目はなあ、難しい目ではあらせん。神様は一寸指で押さえているのやで。そのなあ、おさえているというのは、ためしと手引きにかかりているのや程に。」と仰せになり、続いて「人ごと伝ては、人ごと伝て。人頼みは人頼み。人の口一人くぐれば一人、二人くぐれば二人。人の口くぐるだけ、話が狂う。狂うた分にゃ、世界で過ちが出来るで。過ち出来たぶんにゃ、どうもならん。よって、本人が出てくるがよい。その上しっかり諭してやるで。」とお諭し下された。つねが家に戻ってこの話を伝えると、兵四郎は、「成る程、その通りや。」と心から感激して、三日朝笠間から四里の道を、片手には杖、片手は妻に引いてもらって、お屋敷へ帰ってきた。教祖はまず、「さあさあ」と仰せあり、それから約二時間にわたって、元始まりのお話をお聞かせ下された。その時の教祖のお声の大きさは、あたりの建具がぴりぴりと振動したほどであった。そのお言葉がすむや否や、ハット思うと、目はいつとはなく何となしに鮮やかとなり、帰宅してみると、長女の目も鮮やかに御守護いただいていた。しかしその後、兵四郎の目は毎朝八時頃までと言うものは、ボーッとして遠目は少しも聞かず、どう思案しても御利益ない故に、翌明治十九年正月に、又おぢばへ帰って、お伺い願うと、「それはなあ、手引きがすんでためしがすまんのやで。ためしというは人助けたら我が身助かる、と言う。我が身思うてはならん。どうでも人を助けたい、助かってもらいたい、と言う一心に取り直すなら身上は鮮やかやで。」とのお諭しを頂いた。よって、その後熱心にお助けに奔走する内に自分の身上も、すっきりお助けいただいた。

FavoriteLoadingお気に入りに追加