165.高う買うて
明治十八年夏、真明組で、お話に感銘して入信した宮田善蔵は、その後いくばくもなく、今川聖次郎の案内でおぢばへ帰り、教祖にお目通りさせて頂いた。当時、善蔵は三十一才、大阪船場の塩町通で足袋商を営んでいた。教祖は、結構なお言葉を諄々とお聞かせ下された。が、入信早々ではあり、身上にふしぎなたすけをお見せ頂いた、という訳でもない善蔵は、初めは、世間話でも聞くような調子で、キセルを手にして煙草を吸いながら聞いていたが、いつの間にやらキセルを置き、畳に手を滑らせ、気のついた時には平伏していた。が、この時賜わったお言葉の中で、「商売人はなあ、高う買うて、安う売るのやで。」というお言葉だけが、耳に残った。善蔵には、その意味合いが、一寸も分からなかった。そして思った。「そんな事をしたら、飯の喰いはぐれやないか。百姓の事は御存知でも、商売のことは一向お分かりでない。」と思いながら、家路をたどった。近所に住む今川とも分かれ、家の敷居を跨ぐや否や、激しい上げ下だしとなって来た。早速、医者を呼んで手当てをしたが、効能はない。そこで、今川の連絡で、真明組講元の井筒梅治郎に来てもらった。井筒は、宮田の枕もとへ行って、「おぢばへ初めて帰って、何か不足したのではないか。」と、問うた。それで、宮田は、教祖のお言葉の意味が、納得出来ない由を告げた。すると、井筒は、「神様の仰っしゃるのは、他よりも高う仕入れて問屋を喜ばせ、安う売って顧客を喜ばせ、自分は薄口銭に満足して通るのが商売の道や、と、諭されたのや。」と、説き諭した。善蔵は、これを聞いて初めて、成る程と得心した。と共に、たとい暫くの間でも心に不足したことを、深くお詫びした。そうするうちに、上げ下だしは、いつの間にやら止まってしまい、ふしぎなたすけを頂いた。