166.身上にしるしを
明治十八年十月、苣原村(註、おぢばから東へ約一里)の谷岡宇治郎の娘ならむめ(註、当時八才)は、栗を取りに行って、木から飛び降りたところ、足を挫いた。それがキッカケとなってリュウマチとなり、疼き通して三日三晩泣き続けた。医者の手当てもし、近所で拝み祈祷もしてもらったが、どうしても治らず、痛みは激しくなる一方であった。その時、同村の松浦おみつから、にをいがかかり、「お燈明を種油で小皿に上げて、おぢばの方に向かって、『何卒このお光のしめります(註、消える)までに、痛みを止めて下され。』と、お願いするように。」と教えられた。早速、教えられた通り、お燈明を上げて、「救けて頂いたら、孫子に伝えて信心させて頂きます。」と、堅く心に誓い、一心にお願いすると、それまで泣き叫んで手に負えなかった手足の疼きは、忽ちにして御守護頂いた。余りの嬉しさに、お礼詣りということになって、宇治郎が娘のならむめを背負って、初めてお屋敷へ帰らせて頂いた。辻忠作の取次ぎで、宇治郎は、教祖に直き直きお目にかかって、救けて頂いたお礼を申し上げた。それから間もなく、今度は宇治郎が胸を患ってやせ細り、見るも哀れな姿となった。それで、お屋敷に帰らせて頂いて、教祖にお目通りさせて頂いたら、「身上にしるしをつけて引き寄せた。」とのお言葉で、早速着物を着替えて来るようにとの事であった。翌日、服装を改めて参拝させて頂いたところ、結構にさづけの理を頂いた。そして、さすがに不治とまで言われた胸の患いも、間もなく御守護頂いた。感激した宇治郎は、その後、山里の家々をあちこちとおたすけに歩かせて頂き、やがて、教祖の御在世当時から、苣原村を引き揚げてお屋敷に寄せて頂き、大裏で御用を勤めさせて頂くようになった。