106.蔭膳
明治十五年十月二十九日(陰暦九月十八日)から十二日間、教祖は奈良監獄署に御苦労下された。教祖が、奈良監獄署に御苦労下されている間、梅谷四郎兵衞は、お屋敷に滞在させて頂き、初代真柱をはじめ、先輩の人々と、朝暗いうちから起きて、三里の道を差入れのために奈良へ通っていた。奈良に着く頃に、ようやく空が白みはじめ、九時頃には差入物をお届けして、お屋敷に帰らせてもらう毎日であった。ある時は、監獄署の門内へ黙って入ろうとすると、「挨拶せずに通ったから、かえる事ならん。」と言うて威かされ、同行の三人は、泥の中へ手をついて詫びて、ようやく帰らせてもらった事もあった。お屋敷の入口では、張番の警官から咎められ、一晩に三遍も警官が替わって取り調べ、毎晩二時間ぐらいより寝る間がない、という有様であった。十一月九日(陰暦九月二十九日)、大勢の人々に迎えられ、お元気でお屋敷へお帰りになった教祖は、梅谷をお呼びになり、「四郎兵衞さん、御苦労やったなあ。お蔭で、ちっともひもじゅうなかったで。」と、仰せられた。監獄署では、差入物をお届けするだけで、直き直き教祖には一度もお目にかかれなかった。又、誰も自分のことを申し上げているはずはないのに、と、不思議に思えた。あたかもその頃、大阪で留守をしていた妻のタネは、教祖の御苦労をしのび、毎日蔭膳を据えて、お給仕をさせて頂いていたのであった。そして、その翌十日から、教祖直き直きにお伺いをしてもよい、というお許しを頂いた。