105.ここは喜ぶ所
明治15年秋なかば、宇野善助は、妻と子供と信者親子と7人連れで、おぢばへ帰らせて頂いた。妻美紗が産後の患いで、もう命がないというところを救けて頂いた、お礼詣りである。夜明けの4時に家を出て、歩いたり、巨掠池では船に乗ったり、次には人力車に乗ったり、歩いたりして、夜の8時頃おぢばへ着いた。翌日、山本利三郎の世話取りで、一同、教祖にお目通りした。一同の感激は、譬えるにものもない程であったが、殊に、長らくの病み患いを救けて頂いた美紗の喜びは一入で、嬉しさの余り、すすり泣きが止まらなかった。すると、教祖は、「何故、泣くのや。」と、仰せになった。美紗は、尚も泣きじゃくりながら、「生き神様にお目にかかれまして、有難うて有難うて、嬉し涙がこぼれました。」と申し上げた。すると、教祖は、「おぢばは、泣く所やないで。ここは喜ぶ所や。」と、仰せられた。次に、教祖は、善助に向かって、「三代目は清水やで」とお言葉を下された。善助は、「有難うございます。」とお礼申し上げたが、過分のお言葉に身の置き所もない程恐縮した。そして心の奥底深く、「有難いことや。末永うお道のために働かせて頂こう。」と、堅く決心したのである。