出直し(でなおし)の意味 天理教の言葉・教え
天理教では、一般に死といわれていることを出直し(でなおし)という言葉であらわしています。
辞書で調べてみると、「出直す」や「出直し」という言葉があります。
- 一度引き返し、改めて出かける。
- 最初からやりなおす。
という意味があります。
天理教の「出直し」という言葉の意味は、二つ目の、「最初から新しくやり直す」という意味が近いかと思われます。
目次
天理教での出直しとは、「生を最初から新しくやり直す」という意味
死が、この世での生の終結を意味するのに対して、出直しは、この世で再び生命を得るために新しく再出発するという意味があります。
人間は魂(心)と身体からなっていますが、人間の身体は、親神様からの貸しもの(借りている物)であり、人間が親神から借りたものと天理教では教えられています。
つまり、「かしもの・かりもの」(神様からすると身体を貸しており、人間からすると、体を借りている)であり、人間は、「かしもの・かりもの」の身体を借りることによって、生命があるのです。
これを踏まえ、
出直しとは「かしもの・かりもの」の身体を親神に返すことで、古い着物を脱いで新しい着物に着がえるようなものと教えられています。
親神(天理教の神様)の守護(働き)によって、人間は、心にふさわしい身体を神様から借りて、またこの世に出直して帰ってくる(生まれ変わる)のです。
このことから、この世における人間の無限の生を認めることができます。
教祖(おやさま)は、明治8年(1875年)、こかん(教祖の娘)の出直しに際して、「可愛相に、早く帰っておいで」と 優しくねぎらわれた(『稿本天理教教祖伝』 133-134 頁)
これは、人間がこの世に生まれかわって出直してくることを教えられているものです。
人間の定命は115歳
人間の出直しの時期は、理想的には115歳定命(じ ょうみょう・寿命のこと)とされている(おふでさき3号100参照)
成人の未熟さや親神のはからいなどから、115歳までに出直すのが現状であって、生きているうちに心の出直しをして、心のほこりが基(もと)となった「いんねん」を切り替えることも教えられています。
出直しには、それぞれの心のほこりにもとづいた「いんねん」とのかかわりの中で、親神による深い救済のはからいが示されていることが理解できます。
「元初まりの話(天理教教典「元の理」)」のなかで、人間は幾度も出直しを繰り返し、その出直しを通して、人間の成人の過程をうかがうことができます。
親神様の、人間に「陽気ぐらし(天理教の目的)」をさせたいという、深い思いをみつめて出直すとき、次の新しい向上への機会が与えられるのであって、この意味で、現在の生を真実に生きていくことが肝要となっています。
出直しを単なる生の繰り返しとしてではなく、陽気ぐらし世界をめざしての生成発展の過程の一つの重要な契機として捉えることができます。
生まれかわり(うまれかわり)について簡単に説明
「元初まりの話」の中で、親神の守護による、人間の創造・成長の過程が象徴的に明かされています。
人間は、 三度の宿し込み、出直しの後、虫、鳥、畜類などと八千八度の生まれかわりを経て、一匹の「めざる」の胎に宿ります。
さらに生まれかわり出直しの後、五尺の人間にまで成人したと言われています。
ここに、この世の元初まり以来、人間は、生まれかわり出直しをして、今日、親神によって生を享けているということが分かります。
人間の身体は親神からの「かしもの・かりもの」であって、心は自分のものとして使うことを許されてますが、それぞれの身体は、銘々の心に応じて借りているものなのです。
心の核とみなしうる人間の魂は生き通し、すなわち不滅であって、生まれかわりとは、同じ魂にまた新しい身体を借りてこの世に生まれでてくることである。
人間の生は、一代限りのものではなく、すでにこの世に幾度も生まれかわってきているものなのです。
生まれかわりを繰り返すなかに、陽気ぐらし世界へと心の更生をはかることが要請されています。
「前生のいんねん」が説かれるのもこの生まれかわりの教えによるものであり、前生から今生に至っている過程の中に自己を捉えることによって、われわれは今生を明るい未来に向かって方向づけ、より充実したものとしていくことができます。
生まれかわりについて、天理教の原典「おさしづ」の中で、
「親が子となり、子が親となり、名を呼び出せ。 一時名を呼び出さねば分かろうまい。さあ/\生 まれ更わりたで。」
おさしづ・明治21年4月16日
と説かれています。
親が子供になり、子供が親になる。こうやって人間は生まれ変わりをしているのです。
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