「一手一つ(いってひとつ)」の意味とは?天理教の用語説明
令和3年のラグビー大学選手権で天理大学が初優勝しましたね。
天理大学ラグビー部のスローガンに「一手一つ」という言葉が使われておりますが、あまり馴染みのない言葉だと思います。
今回はこの「一手一つ」について簡単に説明します。
目次
一手一つとは真底一つ心になること
一般に「いって」という場合、「一手に引き受ける」「品物は皆一手です」と用いますが、
天理教での「一手一つ」という意味は、幾人かの人が、ばらばらの心や別々の行動をとるのでなく、真底ひとつ心になること。また一つの行働をとることをいいます。
一手一つとは、神様の教えに心を合わせることが基本
それには親神様(天理教の神様)の教えに心を合わせ、互いに立て合いたすけ合うことが基本となります。
「天理教教典」には、
「一手一つの心に、自由の守護が頂ける。いかに多くのものが相集っても、一手一つの理を欠くならば、親神に受け取って頂けない。人皆、相互に一つの道の理に心を合せ、瓦立て合い扶け合うてこそ、陽気に勇んで生活して行ける。」
(「天理教教典」94頁)
と述べてあります。
大切なのは、親神様(天理教の神様)の教えに沿うことです。
一人ひとりが親神様(天理教の神様)の教えに沿う心を定めれば(心を定める=決心するような意味)、皆の心が同じ心になり、何人でしていても、一人でしているかのように事が運べる。
これを、天理教の原点の一つである「おさしづ」では、
「めん/\一手一つ、一人の理、」
(おさしづ明治22年7月9日)
と言われています。
これが一手一つという意味なんでですね。
ちなみに、一手一つとは親神様の教えに心を合わせるのであり、だれか人に他の人が合わせるという意味ではありません。
「これまで論したる理……皆寄せてみよ。一つの理に留まるであろ。一手一つに皆結んでくれるなら、どんな守護もする。」
(おさしづ明治31年1月19日)
皆がさしづの通りにすれば、一手一つであり、親神が守護をすると言われています。
また、話し合い(談示)がうまくまとまるのも同じことです。
「心の理が第一。いかなる談示、一手一つに治まる。」
(おさしづ明治22年1月24日)
と言われます。
なお、「一手一つ」が「違いがない」「同じ」という意味で使われる場合もみられるます。
「一手一つにもさづけ出してある、同じ理を出してある、皆一手である。重い軽いありそうな事情は無い。」
(おさしづ明治23年7月7日)
ちょっとメモ:一手一つの和(いってひとつのわ)について
各人がばらばらの心や行動をとるのでなく、各自それぞれの立場において芯に心を合わせ、調和のとれた行動をすること。
天理教では、親神様の思召に焦点を合わせ心を一つにすることが基本です。
一般にはリーダー(中心になる人)を芯とし、その芯に心を合わせ活動することに用います。
中山正善2代真柱は、天理教の信仰箇条の一つとして、昭和42年(1967)秋の大祭の神殿講話に、神一条の精神、ひのきしんの態度、一手一つの和の三信条を諭しました。
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