明治二十四年二月十七日
教職昇級の事に付、五月より難しくなるに付、東京より今の内に昇す者あれば昇級さするが宜しと申し来たりしに付、これが昇級さしましても宜しう御座りますや願明治二十四年二月二十七日(陰暦正月十九日)
大和郡山分教会池田村にて支教会の願(中和支教会)明治二十四年三月十二日
高安分教会教祖五年祭四月一日、月次祭陰暦二月二十三日に勤め度き願明治二十四年三月二十五日
増野正兵衞及び道興の障りに付願明治二十四年四月十四日
東分教会役員秋田県へ出張の御願引き続きての御話明治二十四年四月二十日
山沢為造声がかすりて身上障りに付事情願明治二十四年四月三十日
天地組より大隅行の伺(北分教会)明治二十四年五月十二日
梅谷四郎兵衞身上願明治二十四年五月二十二日
増野いと右の手痛み俄かに腫物出来しに付伺明治二十四年六月五日
芦津分教会設置に付地方庁出願の儀願明治二十四年六月十七日
諸井政一身上障りに付伺明治二十四年七月五日
諸井国三郎本月より十月まで国々先々巡廻の御許し願明治二十四年七月十九日
芦津分教会地所の処他にて買い求め度くに付願明治二十四年九月二十四日
高安分教会部内講社講名思い/\の相成り居るに付、将来その儘に捨て置いて然るべきや、又講名を一手にして号を以て区別致すべきや伺明治二十四年十月三日
教祖御休息所庇(ひさし)修繕願明治二十四年十月十五日
山本利三郎普請事情に付願明治二十四年十月三十日
撫養支教会を分教会に引き直しの願明治二十四年十一月六日
永神講の内菅原村講分離の御願(梅谷講社)明治二十四年十一月十五日
南海支教会所開筵式十二月四、五日(陰暦十一月四日五日)御許しの願明治二十四年十一月十九日
増野松輔少しおたすけ蒙り今一段おたすけの程願明治二十四年十一月三十日
梅谷とみゑ五才胸先迫るに付願明治二十四年十二月十八日
志紀分教会の処会長は神様の御許し山本利三郎なるも、地方庁出願に就ての担任は板倉槌三郎と、場所は南高安村大字恩智に定め、名称を中河分教会と改め再願の件に付願明治二十四年十二月二十九日
島村菊太郎家内分教会へ引き越しの願明治二十四年一月二十一日
林九右衞門願明治二十四年三月二十一日(陰暦二月十二日)
宮森小人与彦咳が出て痰つかえるに付願明治二十四年五月十二日(陰暦四月五日)午後一時
清水虎次郎長女まつへ八才身上再願(出雲村)明治二十四年六月十九日
深谷徳次郎二十二才願明治二十四年八月七日
市口久吉五十四才身上願(天清組)明治二十四年九月十四日
深谷源次郎四十九才願(徳次郎タミツル縁談のはじまりおさしづ)明治二十四年十月二日
宮森小人身上願明治二十四年十月二十四日
西村喜右衞門伜源次郎十八才願明治二十四年十一月十七日 朝
松永好松願(河内)明治二十四年十二月二十四日
宇野善助五十六才身上事情願明治二十五年一月十日
増野正兵衞身上願明治二十五年一月十九日
陰暦二十六日中山会長家移りに付祝の御酒の願明治二十五年一月三十日
畑林為七身上願明治二十五年二月十日
心実講支教会設置の件願(城法支教会)明治二十五年二月十八日(陰暦正月二十日)
永尾よしゑ身上今一段鮮やかならず、夜前のおさしづに、三つ一つの理とお諭し下されしは如何の事で御座りますや願明治二十五年二月二十六日
下村真明講へ兵神分教会より清水与之助外二名出張致し、支教会設置事情に就て世界の理治め方の願明治二十五年三月三日
大和国大和講社儀五条に於て支教会設置の願(五条支教会)明治二十五年三月十四日
門を立つる所の伺明治二十四年八月五日(陰暦七月一日)
山本利正の願明治二十四年八月二十九日(陰暦七月二十五日)
山沢サヨ咳出るに付願明治二十四年一月八日 朝
寺田達之助身上障り願明治二十四年一月二十三日 午前一時
刻限御話明治二十四年二月八日(陰暦十二月晦日)夜
本席御身上の願明治二十四年二月十七日
高安分教会所教祖の御霊の願明治二十四年二月二十七日
紀州正明講支教会の願(南海支教会)明治二十四年三月十三日
増野正兵衞一昨日おさしづ頂きし中に『又々の理も治めてやるがよい』と仰せ下されしは、三木支教会所(兵神部下)の願の事でありますや、春野の方の事でありますや、又夜前より正兵衞一層腹下り厳しく、今朝より便所へ行けば又行くに付願明治二十四年三月二十八日
高安分教会教祖のおめど幣に致し度き願