明治三十三年四月十六日
市内かね六十七才身上願(中河分教会部内大堀出張所担任)明治三十三年六月二十五日
吉田梶太妻ムメノ三十七才右食指障りに付願明治三十三年十月十七日
浅井勝太郎四十六才身上願明治三十三年一月十二日
中津支教会長泉田の身上の処おさしづあり、それに付運び方なり又役員の治め方に付、喜多治郎吉出張する願明治三十三年二月六日
兵神分教会三島事務所建物修繕の日早める願(三島村事務所修繕の儀陰暦正月二十八日に御許しを頂きし処都合により陰暦正月九日に日を縮めて御許し願い度き儀本席へ願い出でたるに、左の通り本席より仰せ下され)明治三十三年三月十六日
山辺郡杣之内山の官林払い下げに付、立木及び地所共本部へ買い入れの願明治三十三年四月四日
正木国蔵身上願(名東支教会長)明治三十三年五月十七日
松村吉太郎目の障りに付願明治三十三年七月十一日
清水与之助五十九才身上願明治三十三年九月十二日
平野楢蔵北陸支教会事情のため出張願明治三十三年十月六日
喜多治郎吉四十九才胸迫るに付願明治三十三年十一月二日
土佐敬誠身上願明治三十三年十二月四日
藤橋光治良三男光信一才身上願明治三十三年二月十一日
植谷こう出産事情願明治三十三年四月十九日
檜作徳之右衞門身上願明治三十三年六月三十日
畑地音松父宇左衞門身上願明治三十三年十月十八日
塩田弥助四十五才身上眼の悩みに付願(英虞布教所役員)明治三十三年一月十二日
中山慶太郎と福井モト縁談事情願明治三十三年二月八日
撫養分教会長土佐卯之助身上に付、前おさしづなり並びに伜敬誠の身上のおさしづ上からだんだん事情定め、分教会長を敬誠に譲る精神定め事情運べば身上速やかに救け下されし故、これに付担任譲るの御許し下さるか又早う御座りますや願明治三十三年三月十六日
中山秀司二十年祭の処、陰暦二月二十七日御勤め致し度く願明治三十三年四月六日
東分教会長上原佐助五十一才身上肺炎に付願明治三十三年五月十九日
宮森ヒサ眼の障り及び出来物の処願明治三十三年七月十四日
天理教別派独立の件に付内務省へ書面差し出し置きし処、信徒を取り調べの事に対し、各府県より内務省へ種々の事申し込み有之、よって今少し確実のもの提出せば却って教会のためかと言われ、よって十二下りを郡山の信徒中西牛郎に解釈させて大綱を内務省へ出す事御許し下されますかと願明治三十三年九月十四日
本席身上願(本席御身上夏頃より少々御障り有之、尚事務始め前より大変障りに付、一同相談の上事務始め下されたら、第一先に本席身上の事一同の心得までおさしづ仰ぐ事にて親神様へ御願い申し、御身上御救け下されましたが、一昨日又昨日なりおさづけ御運び下されしが、夜前御身上御障りに付本日一同揃うて願)明治三十三年十月七日
刻限の御話(おさづけ御運びのあとにて)明治三十三年十一月三日(陰暦九月十二日)
喜多治郎吉九州へ、板倉槌三郎東国へ青年桝井安松、春野喜市を連れて派出願(秋季大祭まで)明治三十三年十二月七日
梶本楢治郎以前の事情申し上げ、宮田善蔵の娘カナ二十才縁談事情願明治三十三年二月十一日
岩谷源治四十七才身上願明治三十三年四月二十七日
吉田梶太四男四郎二才昼夜泣き脳膜炎に付願明治三十三年七月三日
雁瀬平左衞門六十一才身上願明治三十三年十月二十一日
山沢、高井、東分教会へ出張する事願