明治三十三年六月二十一日
城島分教会移転事情に付願(城島分教会末代の見込みを以て金屋村に地所を買い求めさして頂き、然るに村方より故障申し込み或は道路取り払い戻せよと申し込み、これに付運び方不行届きは神様へ申し上げ、尚かようになるのは元の所に止どまったものか、金屋の方へ移転さして貰いましたものか、皆々の心に困り居りますに付願)明治三十三年八月十一日
船場分教会新築願(船場分教会新築願に付、教会所桁行九間に梁行六間一棟、北南の方五尺縁付、玄関二間半に一間、桁行四間に二間半教祖殿一棟、桁行六間梁行四間平家一棟、桁行五間に梁行四間の二階建一棟、桁行三間梁行四間の平家一棟役員詰所、桁行九間梁行三間二階立一棟、桁行五間梁行三間半平家台所、桁行四間半梁行二間立蔵一棟、表門大一箇所、教会四方廻り高塀七十間、北と西の方に入口二箇所、古井戸六箇所埋み新たに三箇所掘る事、両便所五箇所風呂場一棟、陰暦八月一日地均らし及び石搗き手斧始め、後は追々致し度く願)明治三十三年九月二十八日
高井つね身上願明治三十三年十月二十一日
深谷徳次郎小人景三四才身上事情に付願明治三十三年十一月二十六日
増井りん五十八才身上のぼせに付願明治三十三年一月二十二日
松尾芳松四十才居所障り伜雄太郎目の上の出物願明治三十三年三月二十日
植谷浅次郎以前の事情申し上げ、今、伜三男勇七才身上願明治三十三年六月九日
深谷源次郎三浦悌二の三女せき二十六才雇い入れる願明治三十三年九月十六日
大谷金太郎五十二才身上大変障りに付願(高知部内岩浜支教会長、元は医師に有之)明治三十三年
家本佐兵衞息増次郎を浅井勝太郎娘かめの婿に貰い受け度きに付願(三神支教会役員)明治三十三年一月十一日
撫養分教会長以前だん/\のおさしづにより運び方に付、分教会長を譲りたら宜しきや、又旬が来たらんや人間心で分かり兼ねますに付願明治三十三年一月二十五日(陰暦十二月二十五日)
中台庄之助身上の願明治三十三年三月十一日
梶本宗太郎二十一才梅谷四郎兵衞娘とみゑ十四才縁談事情願明治三十三年三月三十日
教校資本金を募集御許し願明治三十三年五月十日
南海分教会所へ県庁の方より来人あるに付、電灯を引くの願明治三十三年六月二十一日
梅谷四郎兵衞及び妻たね小人とみゑの三人身上願明治三十三年八月二十九日
諸井その身上願明治三十三年九月二十八日
茨木基敬身上障りに付願(陰暦八月五日の晩に腹痛み御陰様に救かり、又陰暦八月十八日に岡山支教会へ出越して居る先で、午後五時頃より朝方まで腹痛み歯うづき、これも御陰様で救かりこの度本部へ帰らして頂き居ります内に、身上あちらこちら悩み心がうっとしいてなりません。又時々涙が出まして困り、又夜前から朝方まで喉痛みますに付)明治三十三年十月二十五日
諸井国三郎分教会へ行く事の願明治三十三年十一月三十日(陰暦十月九日)
増井りん二十六日に身上御願い申し、そのおさしづに速やかなったら改めて尋ね出よ、との事でおたすけあり、今日改めて願明治三十三年一月二十二日
田中豊七五十五才身上願(山国部内)明治三十三年三月二十二日
河合藤太郎三十八才身上願明治三十三年六月十二日
木村竹次郎長女かめ十一才身上願明治三十三年九月二十六日
植谷梅松三十一才沢田善助娘とめ二十五才縁談事情願明治三十三年一月十一日
南海分教会長譲る事に付、分教会へ板倉槌三郎出張願明治三十三年一月二十七日
河原町分教会長深谷源次郎の処、副会長徳次郎へ譲る事に付だん/\運び申し上げ願明治三十三年三月十一日
東分教会長上原佐助大いに咳強く身上の願明治三十三年三月三十一日
東部内牛込支教会運び方の処心得まで願明治三十三年五月十二日
城島分教会長山田伊八郎及び妻こいそ並びに役員二三人身上障りに付願明治三十三年七月一日
清水与之助五十九才身上願明治三十三年八月三十一日
土佐敬誠二十八才身上願明治三十三年十月二日
増野いと四十四才身上俄かに大変迫り願明治三十三年十月二十六日
高井つね四十一才身上願明治三十三年十二月一日(陰暦十月十日)
増井りん昨日御息おさづけ下されました処、高井猶吉、梅谷四郎兵衞のようなと同じ事でありますや願明治三十三年一月二十七日
伊東宇三郎三十一才身上願(湖東支教会阿仁出張所理事)明治三十三年四月四日
平出団次郎身上妻も身上障り、速やか成り次第台湾へ行く願(山名分教会役員)明治三十三年六月二十日
日野利三郎妻サキ五十四才願明治三十三年十月七日
増井とみゑ身上願明治三十三年一月十一日
上田民蔵小人なをえ目の処願明治三十三年一月二十八日
宮森ヒサ四十二才眼の障り願明治三十三年三月十二日
島ケ原万田万吉眼の障りより身上願明治三十三年四月三日
上田ナライト運び方に付願(園原上田ナライト運び方に付先方の心聞いてこうという処を聞いて、その上尋ねてまあ一度尋ねとの事に付、先方には家内一同寄せて貰い度く、たとえどんな苦労あるとも結構でありますからとの事でありますが、又後の家屋敷の処如何致しまして宜しきや、先方の御話してありますから、この辺御願いの上の事と申し置きましたが如何と願)明治三十三年五月十五日
本部水車水路付け替え御許し願明治三十三年七月六日
郡山分教会山瀬文次郎本部準員に繰り上げの願明治三十三年九月三日
西村喜之助小人をのぶ身上願明治三十三年十月三日
本部より山辺郡福住村字大岸にある杉檜買い求め願明治三十三年十月二十七日
撫養部内名東支教会正木国蔵辞職に付、柏原源次郎を後任に願明治三十三年十二月一日
敷島分教会所教務所教祖外九棟の建物並びに塀石垣致し度く、尚御許しの屋敷内へ引き移り願明治三十三年二月八日
大東長三四十八才身上願(平安役員)明治三十三年四月十日
田代兵蔵五十九才身上願(河原町部内水口支教会理事)