明治三十三年四月二十六日
山口県下奈良支教会萩の講社と高安分教会部内講社と衝突事件に付高安分教会より願

さあ/\心に掛かる事は、尋ねにゃ分からん/\。皆何かの道理が添うてある。何か年限から道理考え。一時、どうしょうこうしょうと思た処が、成るものやない。あちらこちら順序重なりて、又事情どうなりこうなり道である。どうなりの道付いたら、やれ/\と言う。又、たんのうせにゃならん。これ道である。これ立って来れば、天然である。皆々その道理聞き分け。皆その道理である。
押して、本人元へ立ち帰る事承知致しませんから苦しんで居ります、如何したら宜しう御座りますや
さあ/\これよう聞き分け。天然と言うた道、天然という道は聞く聞かず。どうしょうこうしょう、言い合わすような事は、天然とは言えん。よう聞き分け。道という理聞いた上は、これ天然の道ある。銘々でどう、おらこうと言うは、天然でない。天然の道が暇が要る。心に道あれば天然で成る。一時成るか、年限で成るか、成って来るは天然である。これを心に治めくれ。一時言うてなろまい。年限さえ経って来るなら、天然の道がある。一時どうしょう、皆この道理である。さあ/\これよう聞き分け。天然と言うた道、天然という道は聞く聞かず。どうしょうこうしょう、言い合わすような事は、天然とは言えん。よう聞き分け。道という理聞いた上は、これ天然の道ある。銘々でどう、おらこうと言うは、天然でない。天然の道が暇が要る。心に道あれば天然で成る。一時成るか、年限で成るか、成って来るは天然である。これを心に治めくれ。一時言うてなろまい。年限さえ経って来るなら、天然の道がある。一時どうしょう、皆この道理である。

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