明治二十二年三月二十八日
平野楢蔵の願明治二十二年四月十八日 午後十時
刻限御話明治二十二年五月七日(陰暦四月八日)
梶本松治郎二女ミチ夜泣き障りに付伺明治二十二年五月二十七日(陰暦四月二十八日)
兵神分教会所開講式に付、御出張御許し下さるよう前以て願明治二十二年六月十七日
前川菊太郎西京河原町分教会出願のため出張御許しの願明治二十二年七月七日(陰暦六月十日)
増野正兵衞咽喉塞ぐようなるに付願明治二十二年七月二十一日(陰暦六月二十四日)
増田きぬゑ身上障り願(増田つねおさづけおさしづ)明治二十二年七月三十一日(陰暦七月四日)午前六時十七分
本席身上御障りに付願明治二十二年八月二十一日(陰暦七月二十五日)
中山会長始め、梶本松治郎、山沢為造、ひさ、うの、身上の理から皆引寄せて御話あり明治二十二年九月十六日(陰暦八月二十二日)夜十時二十分
本席身上御障りに付願明治二十二年十月九日(陰暦九月十五日)午前一時四十分
高井猶吉身の障りよりの刻限御話明治二十二年十月二十九日
増野松輔身上全体腫れしびれ、去る十四日身上障りあり、一時御陰蒙り、主人の方へ帰し、又同方にて障りに付、主人方より取戻せとの事に付、その儘にして置きまして宜しきや伺明治二十二年十一月七日(陰暦十月十五日)
鴻田忠三郎歯痛み願明治二十二年十一月二十九日
東京市下谷に在る出張所を下谷分教会と引直しに付、前川菊太郎派出の際伺いさしづ明治二十二年十二月二十日(陰暦十一月二十八日)
村田かじ三十三才身上願明治二十二年一月十九日
八尾新八四十四才事情伺(名張部内)明治二十二年三月十二日 午前八時三十分
筒井善三郎三十五才(元斯道会第三十八号周旋方江州甲賀郡北脇村)明治二十二年六月三日
宮田善蔵伜善一五才身上に付願明治二十二年七月二十五日
深谷徳次郎伺明治二十二年八月十七日(陰暦七月二十一日)
深谷源次郎身の障り伺明治二十二年九月二十一日 午前八時三十分
植谷浅次郎身上願明治二十二年十二月十七日
増田伺明治二十二年
山本与平及び次男身上願(本月七日より十日烈しく最早八日頃より何願うか/\、次男腹痛に付)明治二十二年一月七日 午前十一時
園原上田嘉治郎の伺(ナライトの父)明治二十二年一月二十一日(陰暦十二月二十日)
清水与之助目かい障り伺明治二十二年二月四日(陰暦正月五日)
清水与之助身上障り伺明治二十二年二月十八日(陰暦正月十九日)
斯道会の分教会の件に付おさしづ(河原町分教会)明治二十二年三月十日
松村吉太郎三月六日のおさしづに『生涯の理も諭そ』との事に付伺明治二十二年三月二十八日
平野楢蔵願明治二十二年四月二十日
平野楢蔵願明治二十二年五月七日(陰暦四月八日)
おさづけに付、本席へ一座三名との御定め、然るに遠国より同連五名ありますに付、二座御願申す事御許し願明治二十二年五月二十七日(陰暦四月二十八日)
清水与之助身上障り伺明治二十二年六月十八日
松村吉太郎、前日実父、祖母身の障り願いし処、大層のようおさしづに預り、これは両人共安心の道を運ばねばならぬか、押して願明治二十二年七月八日(陰暦六月十一日)
郡山分教会月次祭の願明治二十二年七月二十二日(陰暦六月二十五日)午後六時
本席身上御障りに付願明治二十二年七月三十一日(陰暦七月四日)
増野正兵衞これまで幾度のおさしづによって、おぢばへ引越せますのは旬が早う御座りますか、寄せて下されますか、御許し願明治二十二年八月二十三日(陰暦七月二十七日)
増野正兵衞神戸へ帰宅御許し願明治二十二年九月十七日(陰暦八月二十三日)午後九時
刻限御話明治二十二年十月十日(陰暦九月十六日)
刻限御話明治二十二年十月二十九日(陰暦十月六日)
村田幸助身上障りに付願明治二十二年十一月七日 午後十時四十分
刻限御話明治二十二年十一月三十日(陰暦十一月八日)午前九時半
上田ナライト身上願(これまで一身暮らし(独身生活)という事をお聞かし下れしが、やはり一身暮らしで越すものでありましようや、夫を持って越すものでありましようや、如何の願)明治二十二年十二月二十四日(陰暦十二月三日)
梶本松治郎奥歯障りに付願明治二十二年一月二十一日 午後
寺田半兵衞身の障り伺明治二十二年三月十五日(陰暦二月十四日)
宮森与三郎小人の願明治二十二年六月六日
宮森与三郎歯痛むに付願明治二十二年七月二十五日
深谷源次郎伺明治二十二年八月十七日(陰暦七月二十一日)
増田亀次郎身上願明治二十二年十月九日 午前十一時
沢田勝治郎二十七才(元斯道会第三十八号周旋方)明治二十二年十二月二十日(陰暦十一月二十八日)
岡田源七四十六才(近江国甲賀郡水口村斯道会三十八号)