明治二十一年八月二十五日(陰暦七月十八日)
内田太平四十才(吉野郡志賀村世話掛)明治二十一年九月十九日
岡田与之助身の障りに付伺明治二十一年十月四日(陰暦八月二十九日)
真鍋宇吉身上願(兵庫門口町)明治二十一年十月二十二日
伊原武平二十八才(阿波国三好郡加茂村)明治二十一年十一月一日
麻植房次郎三十六才(阿波国板野郡榎瀬村真心組講元)明治二十一年
植田長三郎妻いし五十才陰暦四月三日より悩みに付伺(十市郡下村)明治二十一年
杉本由松三十五才伺(十市郡下村取締)明治二十一年
村田五良平三十九才伺(大和国式上郡川合村講元)明治二十一年一月八日
平野トラに付願明治二十一年二月十日(陰暦十二月二十九日)
穴門上徳永前栽に建家の事増野正兵衞伺明治二十一年三月十一日(陰暦正月二十九日)
増野正兵衞転宅後後々内々心得伺明治二十一年四月十七日
平野トラに付願明治二十一年五月二十一日 午後四時
平野楢蔵願明治二十一年六月十五日
清水与之助下腹痛み、二度づゝ大便に行き、絞り腹のように付願明治二十一年七月三日
大阪小松駒吉長女あい身上障りに付伺明治二十一年七月二十四日(陰暦六月十六日)
本部神殿祀る所の伺(上段の間より本席の台所を境とし、渡り家取払い建家新築の願)明治二十一年八月六日
清水与之助身上に付伺いしさしづにより、播州講社を巡廻す明治二十一年八月二十五日
平野トラに付願明治二十一年九月十六日 午後四時四十分
松村吉太郎東京より帰会致し且つ実家へ帰宅に付、家内の運びの儀伺明治二十一年九月三十日(陰暦八月二十五日)
増野いと自腹おぢばへ出て伺明治二十一年十月十三日(陰暦九月九日)
桝井伊三郎、清水与之助両人より伺明治二十一年十一月十一日
平野トラ身上願明治二十一年十二月十二日
春野夫婦大阪へ引越し、母一人残り別に隠居致し、その方へ増野正兵衞一所に引越致しても宜しきや伺明治二十一年十二月二十五日
梅谷四郎兵衞身上の障り速やかにならん処より願明治二十一年一月十四日 午前九時
福住宗治(第四号)明治二十一年二月三日 午前八時
萩原治兵衞伺明治二十一年三月二日 夕六時三十分
佐藤山三郎(大津元斯道会)明治二十一年六月四日 午前九時
宇野善助身上願(沢田同伴にて参詣の砌)明治二十一年七月四日
山本源七身の悩みに付伺明治二十一年七月二十二日
深谷源次郎伺明治二十一年八月二十五日
田中久治郎明治二十一年九月十九日(陰暦八月十四日)
唄徳松四十五才伺(兵庫和田崎町五番地)明治二十一年十月五日
辻本甚太郎三十四才(大和国十市郡桜井村周旋方)明治二十一年十月二十二日
宗我元吉(芦津部内阿波国徳島)明治二十一年十一月二日(陰暦九月二十九日)
松岡国松二十二才(播磨国美嚢郡南畑村)明治二十一年
上原佐助三十九才ミツを東京へ連れ帰るに付伺明治二十一年
筒井善三郎三十四才願(元斯道会第三十八号周旋方)明治二十一年
森岡伝治四十四才(伊賀国名張郡安部田村講元、前に一応御伺内々)明治二十一年一月十二日(陰暦十一月二十九日)
春野ゆう身上の伺(増野正兵衞の妻いとの母)明治二十一年二月十一日(陰暦十二月三十日)
前件に付普請念入れる方宜しきや大層せずざっとして宜しきや、増野正兵衞追って伺明治二十一年三月十三日(陰暦二月一日)夜
東京へ諸井国三郎、清水与之助出立の願明治二十一年四月二十二日(陰暦三月十二日)
清水与之助下腹痛み、大便へ行くようで行かぬに付、東京より願明治二十一年五月二十一日 午後四時
増野正兵衞身上播州より帰りての願明治二十一年六月十五日
清水与之助帰宅の願明治二十一年七月七日
清水与之助身上の悪しき処願明治二十一年七月二十五日(陰暦六月十七日)午後五時十分
大阪天地組総長茨木基敬同年陰暦六月五日三島中山重吉宅にて、お手入れを頂きし事述べし時のおさしづ明治二十一年八月九日 朝
遠州諸井国三郎伺、前々よりの分教会設立の儀に付おさしづ明治二十一年八月二十八日
土佐卯之助改めて事情願明治二十一年九月十六日
平野楢蔵願明治二十一年九月三十日(陰暦八月二十五日)午後六時
本席御身障りに付伺の際刻限話