明治二十一年十月十八日
平野楢蔵身上願明治二十一年十一月二十日(陰暦十月十七日)
東京より前川菊太郎、増野正兵衞同道にて帰り願明治二十一年十二月十五日 午前十時
松村吉太郎縁談の件伺、(萱振芦田は信者にあらず、吉太郎は信者より貰い受けたく、然れ共両親は是非貰い受けたしと、何分両親の言う事なり、夫婦の縁があるなら貰い受けねばならぬに付、如何に致して宜しきや伺)明治二十一年十二月二十九日
平野楢蔵の願明治二十一年一月二十二日
深谷源次郎伺明治二十一年二月五日(陰暦十二月二十四日)
上川孫兵衞四十四才身上願(元斯道会第十七号講元)明治二十一年三月二十七日
中村勝次郎五十三才(神戸)明治二十一年六月七日
中井ちく三十二才身上願明治二十一年七月四日
宇野善助伺明治二十一年七月三十日
上川孫兵衞願(元斯道会十七号講元)明治二十一年八月三十日(陰暦七月二十三日)午前七時
松尾芳松明治二十一年九月二十日(陰暦八月十五日)
端田久吉身上願(陰暦七月十五日より一日間に暑さと寒けの身の障りの処願)明治二十一年十月九日
国定幸太郎二十五才(備中国新が村真明組)明治二十一年十月二十四日(陰暦九月二十日)
端田久吉身上願(兵庫真明講社講元)明治二十一年十二月三日(陰暦十一月一日)
北嶋友五郎二十五才(阿波国板野郡大須村真心組周旋人)明治二十一年
扇清治郎身上伺明治二十一年
永尾徳松、宇野善助、中村松之助以上三名御伺明治二十一年
山瀬トヨ四十一才(郡山天龍講社)明治二十一年一月十六日
桜井村世話方富松猶次郎願明治二十一年二月二十一日(陰暦正月十日)
増野正兵衞口中の内裏一寸腫れ居所悪しきに付伺明治二十一年三月二十八日(陰暦二月十六日)
松村吉太郎東京へ出立に付伺明治二十一年四月二十七日(陰暦三月十七日)
土佐卯之助事情重ねて願明治二十一年五月二十三日(陰暦四月十三日)
東京本部に於てめどう札を渡さぬ人に御幣を渡す事の御許しを、中山会長より、増野が上京するに付御伺明治二十一年六月二十日
梅谷とみゑ身上願明治二十一年七月十一日(陰暦六月三日)
本部をおぢばへ移転するに付、奈良県庁へ届書にして宜しきや、又、願にして宜しきや伺明治二十一年七月二十九日
上田いそ願明治二十一年八月十日(陰暦七月三日)
大阪梅谷四郎兵衞借家造作代三十円普請四十円程かゝり、家主より十五円にて買取るとの事に付伺明治二十一年八月三十日
永尾たつゑ身の障りに付願明治二十一年九月十八日
山沢為造伊賀行きより帰りて、身の障りに付願明治二十一年十月五日(陰暦九月朔日)
おさづけ人取次の後神様御引きならず、直ぐ御話あり明治二十一年十月二十日(陰暦九月十六日)
陰暦九月三四日頃より山田伊八郎母たか身上障りあり、身上障る前々より井戸水濁りたり、澄んだり、或は鶏夜鳴き等の御知らせありしに付伺明治二十一年十一月二十一日(陰暦十月十八日)
教会本部開筵式三日のつとめ致しますものか、又は一日だけに致しまして宜しきや伺明治二十一年十二月十七日 午後十一時
増野正兵衞伺、(前伺の、母方へ一所になるおさしづの中に、「後一つたんのうであろう又談示せえ」と御聞かせ下され、又身上障りに付おさしづに「夜明けたらという事も聞いてある」と聞かし下され、これはこちらへ御引寄せ下さる事でありますや、又悟り違いにや伺)明治二十一年十二月三十一日
永尾たつゑ身上の障りに付願明治二十一年一月二十二日
深谷源次郎願(元斯道会願上、おつとめに集談の時)明治二十一年二月五日(陰暦十二月二十四日)午前七時五分
西井徳重(京都元斯道会周旋方)(身上)明治二十一年三月
沢田宮次郎妻いと胃病に付願明治二十一年六月八日
湯川政太郎三十七才三年前より目の障りに付身上願明治二十一年七月四日
酒井佐吉三十二才身悩み伺明治二十一年七月三十一日
今川聖次郎身上に付願明治二十一年八月三十日(陰暦七月二十三日)午前八時
松下房蔵身上伺明治二十一年九月二十一日
伊原多平四十一才(阿波国三好郡加茂村真明組)明治二十一年十月九日(陰暦九月五日)
田中福次郎三十七才(備中笠岡真明組周旋方)明治二十一年十月二十七日(陰暦九月二十三日)
増田甚七伺明治二十一年十二月十三日 午前八時
中村初治郎三十四才(上京二十四組への内町)明治二十一年
扇清治郎身上伺明治二十一年
端田久吉伺明治二十一年
山田太右衞門三十五才五十日前より身上に付伺明治二十一年一月二十一日(陰暦十二月九日)
久保小三郎おさづけ頂戴願明治二十一年二月
梅谷秀太郎白土村喜多治郎吉方へ養子にやる願