明治二十一年七月十七日(陰暦六月九日)
奈良講社の者、正月頃より二十名ばかり別派になり、学者を頼みて此者に講元並に教職をも許しくれるや、さもなくば天理教会を潰し、又は平野楢蔵と論をするなどと言うに付伺。又平野も立腹致し居るに付、論をしに行きても宜しきや、如何して宜しきやも伺う

さあ/\どんな者も皆寄り来る。めん/\我がものと思うて、花の色匂いを取る心が世界では分からんで。匂い取り兼ねる/\。人間心の色はどうもならん。さあさあ腹立てさすやない。めん/\にこれをこうしてくれと言うやない。さあ/\花の色、皆々めん/\に、あの花の色はと言うて、さあ/\/\皆々談示に寄り来るで。腹立てさゝぬよう。さあ/\無理どんな事言うても、どんな無理言うても、何にもならせんで。さあ/\言えば言う程言う者は言う通りに成る。腹立てんよう。さあさあ日々皆々その花の心に成るで。(右の如く世界広い道になれば、皆々花の匂で寄り来るなれど、匂取る事分からん故に腹を立てるのであります)

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