明治二十年十一月四日(陰暦九月十九日)
春野ゆう身上伺(増野正兵衞妻の母)
さあ/\諭する処も十分伝えある。聞く処大抵聞いて居る。身の内堪えられん時には、ほんに成程と思う。身上速やかとなる。堪えられん時、さづけの証拠にて一時治まる。結構真の中に一つ処よう諭さなならん。伝え処はたんのうの道、これ一つである。十分たんのう伝えねばならん。身の堪えられん時と、変わる時とをよう聞き分けねば、速やかならんではない。たんのう一つである。
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さあ/\諭する処も十分伝えある。聞く処大抵聞いて居る。身の内堪えられん時には、ほんに成程と思う。身上速やかとなる。堪えられん時、さづけの証拠にて一時治まる。結構真の中に一つ処よう諭さなならん。伝え処はたんのうの道、これ一つである。十分たんのう伝えねばならん。身の堪えられん時と、変わる時とをよう聞き分けねば、速やかならんではない。たんのう一つである。