第十一号一九
はなしでもをなしところでゆうならば
なんどにんけん心なるよふ(11-19)

・読み方(ひらがな)
はなしでもおなじところでゆうならば
なんどにんげんこころなるよう
・読み方(ローマ字)
Hanashi demo onashi tokoro de yu naraba
Nando ningen gokoro naru yo
・注釈
~二一 如何程真実の親神の話であっても、始終同じ所で言うならば、何か人間心から話しているように、皆の者が思って、親神の深い意中を説いている話も、その気になって聞く事が出来ず、従って、神意の程を悟り得ないというのは、まことに気の毒であるから、この度場所を変えて話をしてみせるが、如何に場所が変わっても、親神の話には寸分の変わりがない。この寸分変わりのない話を聞いて、皆の者達は、成程真実の親神の話に違いないという事を知り、その話をしっかり聞いて親神の真意を了解して貰いたい。親神は、万事これと同じ道理で、どのような自由自在の守護も皆して見せる。
(註)をなしところでゆうとは、親神様が始終教祖様のお口を借りてお話し下さっていることで、ところかへてはなしをとは、こかん様に扇を持たせて、親神様の意中を語らしめ給うた事実を、仰せられたものである。 然して、教祖様の言とこかん様の言と、寸分の相違がなく、これによって、教祖様が始終お話し下さる事は、教祖様のお言葉ではなく神意をお話し下さっているものである事を立証して、人々にお示し下さったのである。
・英語訳
Even with My talks, if I give them at the same place,you might take them as being from a human mind.
・中国語訳
神言如出同一人或疑出自常人心
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