71.あの雨の中を 71.あの雨の中を 明治十三年四月十四日(陰暦三月五日)、井筒梅治郎夫婦は娘のたねを伴って、初めておぢばへ帰らせて頂いた。大阪を出発したのは、その前日の朝で、豪雨の中を出発したが、おひる頃カラリと晴れ、途中一泊して、到着したのは、その日の午後四時頃であった。早速、教祖にお目通りさせて頂くと、教祖は、 「あの雨の中を、よう来なさった。 2018.08.15
72.救かる身やもの 72.救かる身やもの 明治13年4月頃から、和泉国の村上幸三郎は、男盛りのさ中というのに、座骨神経痛のために手足の自由を失い、激しい痛みにおそわれ、食事も進まない状態となった。医者にもかかり様々な治療の限りをつくしたが、その効果なく、本人はもとより、家族の者も、奈落の底へ落とされた思いで、明け暮れしていた。 何とかしてと思う一念か 2018.08.15
73.大護摩 73.大護摩 明治十三年九月二十二日(陰暦八月十八日)転輪王講社の開筵式の時、門前で大護摩を焚いていると、教祖は、北の上段の間の東の六畳の間へ、赤衣をお召しになったままお出ましなさ、お坐りになって、一寸の間、ニコニコとごらん下されていたが、直ぐお居間へお引き取りになった。 かねてから、地福寺への願い出については、 「そんな事すれば 2018.08.15
74.神の理を立てる 74.神の理を立てる 明治13年秋の頃、教祖は、つとめをすることを、大層厳しくお急き込み下された。警察の見張り、干渉の激しい時であったから、人々が躊躇していると、教祖は、「人間の義理を病んで神の道を潰すは、道であろうまい。人間の理を立ていでも、神の理を立てるは道であろう。さ、神の理を潰して人間の理を立てるか、人間の理を立てず神の理を 2018.08.15
76.牡丹の花盛り 76.牡丹の花盛り 井筒たねが父から聞いた話。井筒梅治郎は、教祖が、いつも台の上に、ジッとお坐りになっているので、御退屈ではあろうまいか、とお察し申し、どこかへ御案内しようと思って、「さぞ御退屈でございましょう。」 と、申し上げると、教祖は、 「ここへ、一寸顔をつけてごらん。」と、仰せになって、御自分の片袖を差し出された。それで 2018.08.15
77.栗の節句 77.栗の節句 教祖は、ある時、増井りんに、 「九月九日は、栗の節句と言うているが、栗の節句とは、苦がなくなるということである。栗はイガの剛いものである。そのイガをとれば、中に皮があり、又、渋がある。その皮なり渋をとれば、まことに味のよい実が出て来るで。人間も、理を聞いて、イガや渋をとったら、心にうまい味わいを持つようになるのやで 2018.08.15
78.長者屋敷 78.長者屋敷 教祖が、桝井キクにお聞かせ下されたお話に、 「お屋敷に居る者は、よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、と思うたら、居られん屋敷やで。 よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、とさえ思わなかったら、何不自由ない屋敷やで。これが、世界の長者屋敷やで。」と。 2018.08.15
79.帰って来る子供 79.帰って来る子供 教祖が、ある時、喜多治郎吉に、「多く寄り来る、帰って来る子供のその中に、荷作りして車に積んで持って行くような者もあるで。また、風呂敷包みにして背負って行く人もあるで。又、破れ風呂敷に一杯入れて提げて行く人もある。うちへかえるまでには、何にもなくなってしまう輩もあるで。」とお聞かせ下された。 2018.08.15
80.あんた方二人で 80.あんた方二人で 明治十三、四年、山沢為造が二十四、五才の頃。兄の良蔵と二人で、お屋敷へ帰って来ると、当時、つとめ場所の上段の間にお坐りになっていた教祖は、 「わしは下へ落ちてもよいから、あんた方二人で、わしを引っ張り下ろしてごらん。」と、仰せになって、両手を差し出された。 そこで、二人は、畏れ多く思いながらも、仰せのまにま 2018.08.15