51.家の宝 51.家の宝 明治十年六、七月頃(陰暦五月)のある日のこと。村田イヱが、いつものように教祖のお側でお仕えしていると、俄かに、教祖が、 「オイヱはん、これ縫うて仕立てておくれ。」と、仰せられ、甚平に裁った赤い布をお出しになった。イヱは、「妙やなあ。神様、縫うて、と仰っしゃる。」 と思いながら、直ぐ縫い上げたら、教祖は、早速それをお召し 2018.08.15
52.琴を習いや 52.琴を習いや 明治十年のこと。教祖が、当時八才の辻とめぎくに、 「琴を習いや。」と、仰せになったが、父の忠作は、「我々の家は百姓であるし、そんな、琴なんか習わせても。」 と言って、そのままにして、日を過ごしていた。 すると、忠作の右腕に、大きな腫物が出来た。それで、この身上から、「娘に琴の稽古をさせねばならぬ。」 と気付き、決心 2018.08.15
53.この屋敷から 53.この屋敷から 明治十年、飯降よしゑ十二才の時、ある日、指先が痛んで仕方がないので、教祖にお伺いに上がったところ、 「三味線を持て。」と、仰せになった。それで、早速その心を定めたが、当時櫟本の高品には、三味線を教えてくれる所はない。「郡山へでも、習いに行きましょうか。」 と、お伺いすると、教祖は、 「習いにやるのでもなければ、 2018.08.15
54.心で弾け 54.心で弾け 飯降よしゑは、明治十年十二才の時から三年間、教祖から直き直き三味線をお教え頂いたが、その間いろいろと心がけをお仕込み頂いた。教祖は、 「どうでも、道具は揃えにゃあかんで。」 「稽古出来てなければ、道具の前に坐って、心で弾け。その心を受け取る。」 「よっしゃんえ、三味線の糸、三、二と弾いてみ。一ッと鳴るやろが。そうし 2018.08.15
55.胡弓々々 55.胡弓々々 明治十年のこと。当時十五才の上田ナライトは、ある日、たまたま園原村の生家へかえっていたが、何かのはずみで、身体が何度も揺れ動いて止まらない。父親や兄がいくら押えても、止まらず、一しょになって動くので、父親がナライトを連れて、教祖の御許へお伺いに行くと、 「胡弓々々。」と、仰せになった。それで「はい。」 とお受けすると 2018.08.15
56.ゆうべは御苦労やった 56.ゆうべは御苦労やった 本部神殿で、当番を勤めながら井筒貞彦が、板倉槌三郎に尋ねた。「先生は、何遍も警察などに御苦労なされて、その中、ようまあ、信仰をお続けになりましたね。」 と、言うと、板倉槌三郎は、「わしは、お屋敷へ三遍目に帰って来た時、三人の巡査が来よって、丹波市分署の豚箱へ入れられた。あの時、他の人と一晩中、お道を離れよ 2018.08.15
57.男の子は、父親付きで 57.男の子は、父親付きで 明治十年夏、大和国伊豆七条村の、矢追楢蔵(註、当時九才)は、近所の子供二、三名と、村の西側を流れる佐保川へ川遊びに行ったところ、一の道具を蛭にかまれた。その時は、さほど痛みも感じなかったが、二、三日経つと、大層腫れて来た。別に痛みはしなかったが、場所が場所だけに、両親も心配して、医者にもかかり、加持祈祷も 2018.08.15
58.今日は、河内から 58.今日は、河内から 明治十年頃のこと。当時二十才の河内国の山田長造は、長患いのため数年間病床に呻吟していた。 ところが、ある日、綿を買い集めに来た商人から、大和の庄屋敷には、不思議な神様が居られると聞き、病床の中で、一心に念じておすがりしていると、不思議にも気分がよくなって来た。湯呑みで水を頂くにも、祈念して頂くと、気分が一段 2018.08.15
59.まつり 59.まつり 明治十一年正月、山中こいそ(註、後の山田いゑ)は、二十八才で教祖の御許にお引き寄せ頂き、お側にお仕えすることになったが、教祖は二十六日の理について、 「まつりというのは、待つ理であるから、二十六日の日は、朝から他の用は、何もするのやないで。この日は、結構や、結構や、と、をや様の御恩を喜ばして頂いておればよいのやで。」と 2018.08.15
60.金米糖の御供 60.金米糖の御供 教祖は、金米糖の御供をお渡し下さる時、 「ここは、人間の元々の親里や。そうやから砂糖の御供を渡すのやで。」と、お説き聞かせ下された。又、 「一ぷくは、一寸の理。中に三粒あるのは、一寸身に付く理。二ふくは、六くに守る理。三ふくは、身に付いて苦がなくなる理。五ふくは、理を吹く理。三、五、十五となるから、十分理を吹 2018.08.15