123.人がめどか
教祖は、入信後間もない梅谷四郎兵衛に、「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。」と、お諭し下された。生来、四郎兵衛は気の短い方であった。明治16年、折りから普請中の御休息所の壁塗りひのきしんをさせて頂いていたが、「大阪の食い詰め左官が、大和三界まで仕事に来て。」との陰口を聞いて、激しい憤りから、深夜、ひそかに荷物を取りまとめて、大阪へもどろうとした。足音をしのばせて、中南の門屋を出ようとした時、教祖の咳払いが聞こえた。「あ、教祖が。」と思ったとたんに足は止まり、腹立ちも消え去ってしまった。翌朝、お屋敷の人々と共に、御飯を頂戴しているところへ、教祖がお出ましになり、「四郎兵衛さん、人がめどか、神がめどか、神がめどやで。」と、仰せ下された。