明治二十七年三月十七日 夜
本席御身上御障りに付願明治二十七年五月五日
増野正兵衞右歯ぐき腫れしに付伺明治二十七年五月二十四日
葬祭道具倉及び山沢為造家引く願明治二十七年六月八日
平野トラ目の障り願明治二十七年七月三日
西田伊三郎妻コト身上願明治二十七年七月十九日
教祖石碑玉垣十二尺九寸、十二尺一寸御許し願明治二十七年八月十七日
本局神殿建築監督受諾の儀本局管長より押して願に付諾否の願明治二十七年九月七日
山名分教会所敷地会長諸井国三郎名前の処この度教会所の名前に致し度く願明治二十七年九月二十九日
山名分教会の敷地諸井国三郎の処、この度教会所の名前に致し度きに付おさしづより又再願明治二十七年十月二十八日 夜
中山たまへ歯の痛みに付願明治二十七年十二月一日 夜十二時
刻限明治二十七年十二月三十日
増野いと身上の願明治二十七年五月二日
吉川芳蔵五十五才身上願明治二十七年六月十七日
山瀬文次郎家内伺明治二十七年八月十九日
速水久治良身上願明治二十七年一月一日 夜十一時
教長歯痛に付御願明治二十七年一月二十五日
江州水口に於ておふでさきを販売せんとする事情に付伺明治二十七年二月二十二日
山沢為造檪本より下女置く願明治二十七年三月十八日 午後四時半
昨夜おさしづ下されしは信徒治め方の事で御座りますか、まさゑ縁談一条の方で御座りますか伺明治二十七年五月七日
本席御身上願明治二十七年五月二十四日
元稲田の屋敷に東塀する願明治二十七年六月九日
山本利三郎家出の事情に付願明治二十七年七月四日(陰暦六月二日)夜
辻忠作身上の願明治二十七年七月二十六日 朝
日清間事件に付朝鮮国へ人夫五百人本部より出す願明治二十七年八月十七日
山沢サヨ身上に付願明治二十七年九月九日
諸井国三郎の長男政一本籍当三島へ移し、相続は末女ろくに致し度く願明治二十七年十月九日(陰暦九月十一日)夜
本席御身上願(但し飯降まさゑ縁談事情)明治二十七年十月二十九日
勝井鶴三郎田地二反余本部へ買い入れ御許しの願明治二十七年十二月三日
増野いと身上産後下りもの居所の願明治二十七年一月五日
日下伝蔵身上願(那賀郡)明治二十七年五月四日
富田伝次郎長女りやうおびや許しを頂き、男子安産し直ちに出直しに付願明治二十七年六月十七日
礒田源右衞門娘こめ願明治二十七年八月二十三日
深谷源次郎五十二才身上願明治二十七年一月十一日 夜十一時二十分
刻限御話明治二十七年一月二十五日
北分教会へ桝井伊三郎、喜多治郎吉派出の願明治二十七年二月二十三日
上田いそ及び民蔵身上願明治二十七年三月十九日 夜
飯降まさゑ縁談川久保鐵蔵の方は話纏まらぬ故見合わせと成りましたと願明治二十七年五月七日
元稲田の地所地均らしの願明治二十七年五月二十四日
雪隠の東の方へ洋灯の居所建てる願明治二十七年六月十一日
教長上京出発に付願、前川菊太郎、松村吉太郎、清水与之助、平野楢蔵、四名御供明日出立願明治二十七年七月六日
堀内与蔵子息吉太郎十九才身上願明治二十七年七月二十六日
神道本局より教長へ幹事及び神殿建築監督受諾の件申し込みに付伺明治二十七年八月十七日
寺田コウ身上願(上げ下だし熱出で甚しくに付)明治二十七年九月十二日
芦津分教会部下笠岡支教会の事情に付永尾楢次郎、桝井伊三郎両名出張の願明治二十七年十月十一日
梶本楢治郎、飯降まさゑ縁談の事情願明治二十七年十一月五日
本席身上御障りに付願(目の御障りなり)明治二十七年十二月九日
永尾よしゑ身上の願明治二十七年一月十三日
上原伊助家内ミツ身上願明治二十七年五月四日
梅本善七長男永治十才身上願明治二十七年六月二十三日
杉本重太郎事情願