明治三十六年三月二十一日
本席身上昨年秋の大祭頃より御障りあり、その節教長へ御願い申し、かんろだいへ願を掛けば直ぐと快く相成られしに付、さしづを仰ぎ度しと本席へ申し上げば、多くの信者に運び済ました上と仰せ下されしより其儘に相成り、又四五日以前より御障りに付一同打ち揃い願明治三十六年二月
土佐まさ身上願明治三十六年五月十一日
清水由松妻みつ二十六才身上願明治三十六年三月七日
松村善兵衞妻こま三十六才身上願(敷島部内岡支教会長妻)明治三十六年五月二十日(陰暦四月二十四日)
本席居宅の南東の屋敷続き先達て買い上げの地所へ、本日より石垣を築き度く願明治三十六年三月十二日
片岡留吉四十六才身上願(南紀支教会部内有井布教所担任)明治三十六年五月二十三日(陰暦四月二十七日)
事情願結了後の御諭明治三十六年三月十三日
中村定次郎三十九才身上願明治三十六年五月二十九日
天理教別派独立請願書以前内務省へ提出致しましたが、宗教局では不完全なる故今少し完全なるもの差し出せとの事に付、今回教典を十章に製し、更に出しましたに付、直ちに実行の事に御許しの願明治三十六年三月三十日
西松太郎妻うの身上願明治三十六年六月十三日
本部西の方元足達の屋敷仮に板囲いを造り境界へ一つ石並べ、元稲田忠七の屋敷跡西側へ石垣塀築き、川筋石垣を直し土管入れる願明治三十六年五月二十七日
葭内久吉儀今度小東こたまを貰い受け度く縁談事情願明治三十六年六月二十七日
永尾よしゑ昨日朝より腹痛致し一時おたすけ頂きし処、昨夜二時頃より再び痛み、今朝に至り漸く治まりしは如何なるや願明治三十六年六月二日
木下善五郎二十八才身上願(旭日部内織田出張所長)明治三十六年九月十八日
奈良支教会担任変更願(新担任、春野喜市)明治三十六年六月九日
北出宇平治六十一才身上願(奈良部内萩出張所担任)明治三十六年九月十八日
日本橋分教会長中台庄之助妻たけ出直し後、役員の治め方前会長十年祭執行に付、増野正兵衞出張心得の願明治三十六年八月二十五日
岡本亀助三十六才身上願明治三十六年九月二十六日
村田豊吉三十三才大縣部内沢の井平二郎妹りと二十才縁談願明治三十六年九月二十五日
安井藤市妻はる三十二才身上願(甲賀部内蒲生支教会長妻)明治三十六年十月十五日
撫養分教会土佐卯之助の娘タツノ十九才富松の次男猶造二十一才と縁談の願明治三十六年十月十四日
永尾徳松次女久子十五才五月十五日より身の障りに付願明治三十六年十月二十日
島ケ原分教会長後任選定願明治三十六年十月十七日
西初太郎伜末一十八才身上願明治三十六年二月十一日
畑林為七五十四才眼の障りに付願明治三十六年十一月三日(陰暦九月十四日)
梅谷四郎兵衞陽暦十月二十八日の夜より脳が病め左のあばらが甚だ痛み苦しきに付願明治三十六年十二月五日
上原佐助娘ふさ十九才身上願明治三十六年二月二十四日
教長、今般郡山分教会役員及び部下信徒中出直しせし功労者の招魂祭執行に付、御参りの願明治三十六年十一月十九日
本席居宅の玄関前へ北塀の処廊路門建築願明治三十六年十二月二十四日
上原佐助娘ふさ先日のおさしづに従い備中笠岡の方へ引き取り、川合家を立てさせ度く願明治三十六年二月二十五日
豊田山御墓所の道路石段、今般本席より寄進に付心得まで願明治三十六年十二月二十二日
諸井国三郎六十四才身上願明治三十六年十二月二十五日
松本鶴蔵四十五才身上障りに付願(西宮部内川辺出張所長)明治三十六年三月十五日
南海分教会長畑林為七九州及び中国地方部内巡教出張願明治三十六年十二月二十四日
本部やしき土持ち御許し願明治三十六年頃
清水虎次郎四十五才願