明治二十一年九月二十四日
平野楢蔵の願明治二十一年十月十二日(陰暦九月八日)
清水はる身上の願明治二十一年十一月七日
前おさしづに付、席順序遠中近の三段に分ちたる儀申上げし処おさしづ明治二十一年十二月七日(陰暦十一月五日)
兵庫県但馬国二方郡湯村九十二番地、天地組講元木岡儀八郎三十七才伺明治二十一年十二月二十五日(陰暦十一月二十三日)午後七時
本席身上の伺明治二十一年一月三日 午前八時
深谷徳次郎十八才願明治二十一年一月
西岡善造二十二才願(河内中野村)明治二十一年二月二十日(陰暦正月九日)
山瀬文次郎身上願明治二十一年五月二十七日
深谷源次郎伺明治二十一年六月三十日 午前八時三十分
京都元斯道会講社の儀に付伺明治二十一年七月十九日
今川聖次郎身上願明治二十一年八月十九日 午前七時二十分
松田源蔵二十才身上伺明治二十一年九月十八日 朝
伊藤半七二十六才伺(大阪市東区博労町天地組世話係)明治二十一年九月頃(陰暦八月)(陽暦九月六日乃至十月四日)
木戸上小三郎妻さつ伺(をびや許し願候処、安産致し女子てる出生致し候処、唇切れ有之その上より御伺)明治二十一年十月十八日(陰暦九月十四日)
麻川与市三十八才長々の間足の障り、妻とく四十才二箇月前より胸と足の障り伺(兵庫真明組周旋方)明治二十一年十月三十一日(陰暦九月二十七日)
増田ならえ五十七才(郡山天龍講周旋方の母)明治二十一年
天野善七伺(好辻)明治二十一年
才加志市松三十三才伺(土屋原村)明治二十一年
峰畑為吉妻まつ二十九才舌荒れ十日前より悩みに付伺明治二十一年一月三十一日 午前九時
松村吉太郎おぢばへ参詣四度おさしづ明治二十一年三月十日(陰暦正月二十八日)
土佐卯之助おさづけ事情願明治二十一年四月十六日
梅谷四郎兵衞歯の痛みに付願明治二十一年五月十一日 夜
梅谷四郎兵衞二女とみゑ身上願明治二十一年六月六日
清水与之助東京出立帰宅の上伺明治二十一年七月二日(陰暦五月二十三日)午前六時
本席腹下るに付伺明治二十一年七月十七日(陰暦六月九日)
奈良講社の者、正月頃より二十名ばかり別派になり、学者を頼みて此者に講元並に教職をも許しくれるや、さもなくば天理教会を潰し、又は平野楢蔵と論をするなどと言うに付伺。又平野も立腹致し居るに付、論をしに行きても宜しきや、如何して宜しきやも伺う明治二十一年八月五日
上原佐助より同人宅に於て、分教会設置致度御許しの願明治二十一年八月二十二日(陰暦七月十五日)
鴻田忠三郎我が身の事に付願明治二十一年九月十一日
平野トラ身上願明治二十一年九月二十五日
中山会長より御話に付、ぢばにて尽すべきや又は内にて尽すべきや、松村吉太郎伺明治二十一年十月十二日
東京講社事件に付伺明治二十一年十一月七日
松村吉太郎へ萱振芦田より入嫁の儀申来り、親よりも申せ共、親神様の道を尽す如何と存ぜられるに付、如何致す可きや伺明治二十一年十二月十日
春野千代出直に付、後治め方願明治二十一年十二月二十五日 午後九時
刻限御話明治二十一年一月三日 午前十一時四十分
増田亀次郎(郡山柳町三丁目)明治二十一年一月
沢田宮次郎三十四才身上願明治二十一年二月二十二日(陰暦正月十一日)午前九時五十五分
松田常蔵伜源蔵二十才七日より腹痛伺明治二十一年五月
中西平八長男平次郎二十六才一年前より心間違いで身上願明治二十一年六月
大浦武治郎身上願(前同おさしづ御願)明治二十一年七月二十日
礒田源右衞門四十一才身上願明治二十一年八月二十一日
深谷源次郎伺明治二十一年九月十八日 朝
田中菊次郎四十才伺(大阪市北区瀧田町大阪天地組世話係)明治二十一年九月頃(陰暦八月)(陽暦九月六日乃至十月四日)
上地庄作次男音次郎三才になりても足立たぬに付伺明治二十一年十月二十日 午前九時(陰暦九月十六日)
村田五良平三十九才(式上郡川合村講元)明治二十一年十月
桂重平五十五才身上願(丹波国南桑田郡勝林嶋村斯道会第五号周旋方、二十日夜十二時病ス)明治二十一年
岩崎新兵衞四十七才前々より胸息どしいに付願明治二十一年
斯道会講社の伺明治二十一年
峰畑為吉伜長太郎三才願(宇陀郡見田村講元)明治二十一年一月五日
上原佐助の願明治二十一年一月
平野楢蔵願