明治二十二年一月三十日(陰暦十二月二十九日)
神戸へ帰り講元周旋方一同寄って兵神分教会の地所に付談示し、富田伝次郎地面と定めて御許しを願、清水与之助、増野正兵衞両名より伺
さあ/\地所一点尋ねる処、どちら/\一つ理、どちらの心も治まる。理上尋ねるどちら/\とは言えん。一つ理を聞き、皆心が治まる理が治まれば理が治まる。どちらやろ/\。一つの心を治まりたなら。一つ心が十と心が治まりたと、理を諭して置こう。
押して伺
桝井伊三郎より、先日清水与之助おさしづ中に『これが元かいな、これが理かいな』と御聞かし下されしは、講元端田久吉の所でありますか、又天理教会設立に付きては、磯村卯之助初め清水与之助、増野正兵衞の三名よりだん/\尽力下され、清水、増野両名は今に於て尽力下さるが、両名の所でありますか、いずれでありますか
さあ/\尋ねる処、よう皆聞き分けにゃならんで。皆の理よう聞き分け。前々尋ね。これが元かいな、これが理かいな、という理を聞き分け。余の儀外の儀でない。どんな道も千筋、一条道、成程の理に伝わる。神一条の道無き処の道は無い。何程心の道、一つ心より一つ心、日々心重なる、月々年々重なる。見分け聞き分けて一つ心定めるであろう。どちら/\言わん。十分理を以て治めるなら、十と治まりた。一つの理を望む心一つ鮮やかという。