明治三十七年六月十一日
安村甚松五十才身上願(郡山部内中背支教会長)

さあ/\/\尋ねる事情/\、さあ/\身上という、一つ理という。尋ねる事情、長らえて/\身上一つ事情、どうでもいかんこうでもいかん、どういう事であろう。長らえての日を、余儀無くの理通り居るであろう。さあ一つさしづを貰うたらなあと思う心は、日々の理であった。尋ねるから一つ順序の理諭するによって、よう聞き分けにゃ分かり難ない。さあこれまでという、十分の心を働かしたる中であろう。なれど、身上に掛かれば、日々という。身上さえ速やか、と思うであろう。さあさあ必ず心の理取り直さにゃならん。これまで心道の上という、皆々の中寄り合うた中、取り直さにゃならんで。どういう事をして日々にという。煩い/\、心の一つ理も煩い。よう聞き分け。さあ難儀さそう不自由さそという親は有るか無いか。そりゃ有ろうまい。この順序の理、十分聞き分けにゃならん。さあ何であると言えば、所々に一つ理、世上から見れば、大層鮮やかなる理下りたる。これは末代の理。人間というもの、頼り無いもの。この一つ理、金銭で買わるものやない。一つ理、金銭積んだるようなもの。さあよう聞き分けにゃならんで。一時の処、身上大層なれど、どうなりても結構という心を定め、皆々の心を運び、所々に心という理一つ。尽し損にはなりゃせん。尽した理は受け取りたる。これ一つ心に治め。十分諭してみよ。これ一つ諭し置こう。

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