明治三十三年五月二十六日
永尾よしゑ三十五才身上願
さあ/\尋ねる事情/\、事情はいつ/\一つの理、身に心得んから尋ねる。心得んから尋ねば、まあさしづというものは、幾度のさしづでも同じ事。どうしてこうして思うまでなれど、心に掛かる。心に掛けるやない。中という、我は、いんねん悪い、いんねん悪いという心は持つな。このやしき三十年伏せ込んで、又姉弟伏せ込んである、伏せ込んである。伏せ込んであれど、まち/\なりて心煩わし/\、どうもならん事情で、彼是遠く薄くなりて、これより親一人存命働かしたる心以て通るなら、身上不足無し。又、多人数成程と言わすれば、理不足ありてはならん。又、親に曇り掛けてはなろまい。この心持てば何にも案じる事要らん。親は存命で居るが、親働かにゃならん、又働かさにゃならん。働くというは、皆んなの道理以て働かす。又、一つ中という、中という理は、これは又々別格の理である。姉弟三名一つに治まれば、悪いやない/\。なれど、まち/\心持てばどうもならん。よう聞き分け。姉弟三名そりゃ遠慮はせにゃならんなれど、真の気兼は要らん/\。連れ戻りた理ある。連れ戻りた理聞き分け。伏せ込んだ理は、動かんが伏せ込んだ理である。又多人数一つ/\、あちら眺めこちら眺め要らん。明らか道という。一つ未だ存命の親が居る。親はいつまで踏ん張るとも分からん/\。なれど、姉弟三名心よりどうなるとも分からん。いつ/\までやない。自由と思うな。道という心以て通るなら、どんな道も通す。道あれば、内々仲好く/\道渡れば、世界成程と映る。映るは、仲好くは第一である。よく聞き分け。