明治三十三年五月十九日
宮森ヒサ眼の障り及び出来物の処願

さあ/\尋ねる事情/\、身上に一つ身上に事情、さあどういう事であろう、思う処又候々々、いかな事であろうと理を尋ねる。尋ねばさしづという理ある。さしづはどういうさしづと言うなら、今までの処、あちら掛かり、こちら掛かり、ようよう治まり、身上に悔やみ。こんな事と思えば、身上に掛かりた。それからさしづ。さしづ治まれば、身上速やかなるなあ。又これではと思う理を諭す。よう聞き分け。内々事情、何も内々事情というはあろうまい。又教会という、あら/\治まり楽しんだ理ある。成程これだけと思う処、身上不足と思う。よう聞き分け。人の中、世界中、この中聞き分け。又内々手を繋いだる中々、日々道理である。まさか理によって違わん。人間事情々々一つは難しいものである/\。そこで何よ聞き分け。さあと言うたらさあ、わしはきという手を繋いでくれるが十分々々。十分の中から、聞き難くい見難くい理ある。聞き難くい見難くい理あれば、後で聞いて腹を立て、気に障え、こんな事ではならん。だん/\身にさしづ。さしづは変わらん。残らず手繋いでこそ、世上から見て鏡通りと言う。あの人この人という理を聞き分け。どういう事も、こういう事も、一つの理に集まりて、一つの理に治まりて道と言う。男女隔て無い/\。この道理皆んな聞き分け。日々あちらの用してる、こちらの用してる。用の都合によって、そら要る者も要らん者もある。なれど、さあという時は、万事心一つも同じ事。世界から見れば、ほんになあと言う。綺麗々々はほんに道、後でどうでも言い訳出けるは鏡やしき。言い訳出けんような事では、鏡やしきとは言えまい。これ聞き分け。身上案じる事要らん。身上治まるは、心が治まれば身上治まる。皆さしづという、男女同じ事。男女言わん。皆理が定まれば、実が治まる。これ障りという。どういう障りも、こういう障りも知らず、理は結構と思え。どれだけ難しい、これだけあゝと言えど治まる。障り、障りは容易ならん事知らす。皆理は同じ事。男女隔て無い程に。これよう聞き分け。

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