明治二十一年十一月十一日
教会本部開筵式に付伺(陰暦十月二十六日開筵式執行)
第一、開会所に付一条
さあ/\いかなる処の席を尋ねる/\。さあ/\尋ねる処応法一つの式/\。一寸初めやで/\。さあ/\一寸の初めというものは、さあ/\約束はしてあるなれども、用が出ける/\。一寸行てくれ/\/\。さあ/\世界並では一寸用が出ける/\/\。さあ/\心の安心して、それ心安心出ければ、さあ/\やしき狭ばい狭ばい。さあ/\一寸初めというものは、ふわ/\したようなものである。さあさあ/\/\大層々々事は、一日二日三日、大層な事は一日の日では治まるまい/\。さあ/\皆々々めん/\に心に持って言う。さあ/\皆々めん/\の心の理を治めて、皆々元々一つのをやが治めた理を、めん/\に心の理思うだけでは欲がありはせん。さあ/\いつ/\までも/\/\の道、さあ/\何がどうやこうや、何にも言わせんで。さあ/\元々神が言うた道だけの事は、さあ/\前々世界の処は治まらん。さあ/\今一時に出けん/\。成らんから何も今一時じいとや。さあ/\どうでも/\いつも通りた。何にも案じる事はないで。どうでもこうでも治まる。さあ/\世界の処、治まるようにして、さあ/\どんな理も治め掛けて来たる処の理を思うて見よ/\。さあ/\世界の法律やと言うて居るけれども、何時変わりて来るやら知れやせんで。さあ/\皆々寄り合うて、さあ/\皆何事も夜から初まり。さあ/\何事も夜から/\/\。
第二、かんろだいの雛形の願
さあ/\かんろだい一条、これもさあ/\今までに世界の処には埋れてある。さあさあ今までに一二という。雛形々々、さあ/\雛形は雛形、さあ/\尋ねたら理を諭す。諭したら大層になる/\。さあ/\雛形は雛形だけの事だけ。さあ/\大層な事を理を諭した処が、ふん/\と言うばかり。大層な事すれば、心うっとしいようなものや。さあ/\一日二日三日、さあ/\あっさりと/\/\/\。さあ/\かんろだい一条、これもさあ/\今までに世界の処には埋れてある。さあさあ今までに一二という。雛形々々、さあ/\雛形は雛形、さあ/\尋ねたら理を諭す。諭したら大層になる/\。さあ/\雛形は雛形だけの事だけ。さあ/\大層な事を理を諭した処が、ふん/\と言うばかり。大層な事すれば、心うっとしいようなものや。さあ/\一日二日三日、さあ/\あっさりと/\/\/\。
第三、楽器の願
さあ/\/\一日二日三日、さあ/\事情一つの事情、さあ/\万事つとめを定めた事が出ければよい。出け難ない。定めた処が出けまい/\。さあ/\さしづした処が、出けん/\処の心と、心思いやり/\、さあ/\あっさりと/\/\。あゝ、ふん/\/\、さあ/\定めた処が出けん処、さあ/\、琴、三味、出けん/\。何にも出けんやない/\/\。元々五十年の心よりの理を見よ。日々出けて来てあるのやで。さあ/\又世界応法の処/\、さあ/\神一条の道というは、めん/\心に理を治め、世界は/\世界の理を治めい。
この理一つ控え
何程という一つの理とは、誠の心の理が成程という理である。
又一つの理
常に誠という心あれば、その場で天の理が直ぐに受け取る、直ぐに返やす/\。自由自在は、めん/\の日々通る常にあるのやで。常に誠という心あれば、その場で天の理が直ぐに受け取る、直ぐに返やす/\。自由自在は、めん/\の日々通る常にあるのやで。