明治三十一年三月二十七日
西村喜右衞門五十八才身上願
さあ/\尋ねる事情/\、どうも身上に心得ん/\事情尋ねる。もうどんな事もどんな事も、これまでの事情の諭は、後にあるか先にあるか、皆知らしたる。日々心治めて事情、又心に持って事情。こういう事心得ん、どういう事違てあろ、こういう違てあろ、どういうさしづあろが、又思う処尋ねる。一つ事情も知らし置く。よう聞き分けにゃならん。さあ/\治め方/\、どういう治め方。多く中と言えば、どういう治め方もある。善い事集まって来れば、又どんな事も集まって来る中に立ぁて、一つ事情中運ぶ事情、道理事情、道理に適わん事諭した処が、適わん。身上障り尋ねる処さしづ/\。善い事集まれば、どんな事も集まる中に、こういう理見分けにゃならん。適わん事は、いつ/\までと言うてはならん。善き理にゝも掛かれば、どんな理にも掛かる。だん/\鮮やか伝えば、何を諭す。どういう理を諭す。たゞ一つの理、理は一つより無い/\。跨がりの理を拵えるからならん/\。事情これだけと思て、成る理聞き分け。一つの理難しい。どうでこうでも、この度何処からでも集め来る。誰とても同じ事、長い年限同じ事。中に同じ事、新しも同じ事、真の理心に治まれば、真の事も無きもの。この理聞き分けて、何かの事治めにゃならん。どんな理も治めにゃならん、という。